貫貞利

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貫貞利
時代 江戸時代
生誕 不詳
死没 不詳
別名 半左衛門、判十郎、源左衛門(通称
主君 毛利吉就吉広吉元
長州藩
氏族 貫氏
父母 父:貫源左衛門
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貫 貞利(ぬき さだとし)は、江戸時代武士毛利氏の家臣で長州藩士(膳夫)。父は貫源左衛門

生涯[編集]

毛利氏家臣・貫吉真の子として生まれる。元禄4年(1691年)に父が死去したため家督を継ぎ、毛利吉就吉広吉元に仕えた。

享保5年(1720年)から享保11年(1726年)にかけて『閥閲録』が編纂された際に、先祖の貫助八助次郎兄弟から貞利までの貫氏の系譜と書状類を提出し、巻150に「貫半左衛門」として収められた。

参考文献[編集]