角猪之助

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角猪之助

角 猪之助(すみ いのすけ、1895年明治28年)7月13日[1] - 1955年昭和30年)5月14日)は、日本の衆議院議員ジャーナリスト

経歴[編集]

和歌山県東牟婁郡新宮町(現在の新宮市)出身。日本大学法科に学んだ後、『中央新聞』と『都新聞』で政治部記者を務めた。

1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬し、当選を果たした。戦後の1946年(昭和21年)、公職追放となった[2]

その他、日本真珠株式会社相談役[3]、大日本漁業株式会社取締役を務めた。

著書[編集]

  • 『支那の農民運動』(1928年、東邦通信社出版部)
  • 『東洋争覇戦と日本 満蒙興廃の前夜』(1931年、政経研究社)
  • 『旋風裡の極東外交と軍事』(1936年、独立書房)

脚注[編集]

  1. ^ 衆議院『第八十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1942年、26頁。
  2. ^ 『朝日新聞』1946年2月10日一面。
  3. ^ 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版(東京篇)』帝国秘密探偵社、1942年。

参考文献[編集]

  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。