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裏白峠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
裏白峠
所在地 滋賀県甲賀市京都府宇治田原町
座標 北緯34度51分21秒 東経135度56分45秒 / 北緯34.85583度 東経135.94583度 / 34.85583; 135.94583座標: 北緯34度51分21秒 東経135度56分45秒 / 北緯34.85583度 東経135.94583度 / 34.85583; 135.94583
標高 380 m
山系 笠置山地
通過路 国道307号
裏白峠の位置(日本内)
裏白峠
裏白峠 (日本)
裏白峠の位置(滋賀県内)
裏白峠
裏白峠 (滋賀県)
プロジェクト 地形
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国道307号標識
国道307号標識

裏白峠(うらじろとうげ)は、滋賀県甲賀市京都府宇治田原町の間にある。標高380m[1]

概要

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国道307号の旧道であり、急勾配・ 急カーブが連続する交通の難所のため早期の改良が望まれていたが、茶屋トンネル(L=390m)を含む約2kmバイパス道路の開通により、交通ネック区間が解消された。 峠名の由来は、近江山城から見て裏側にあり、山城の裏だから「裏白」と呼ばれたといわれている[1]。山城側からは「山城名勝志」によると越田越と呼称している[2]

京都に遷都されてから、伊勢への参詣路となり[2]、近代には茶の流通路として使われた[2]

徳川家康伊賀越えをする際に、奥山田から裏白峠を通って朝宮・小川を経由して伊賀へ向かったとされる[3]

正保国絵図の作成時や延宝検地の際、近江と山城両国で国境を争った結果、裏白峠を境としており、1678年延宝6年)に幕府の裁許を受けている[4]

沿革

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  • 1954年昭和29年)1月20日 - 裏白峠の区間が主要地方道枚方水口線に指定される[5]
  • 1970年(昭和45年)4月1日 - 枚方水口線を国道307号に指定。
  • 2000年平成12年)12月20日 - 裏白バイパスの部分供用開始により、旧道となる[6]

出典

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  1. ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 (1979年4月8日). 角川日本地名大辞典 25滋賀県. 角川書店. p. 141 
  2. ^ a b c 木村至宏 (2007年11月25日). 近江の峠道ーその歴史と文化ー. サンライズ出版. pp. 50-52 
  3. ^ 家康伊賀越えの道”. 宇治田原町. 2019年11月26日閲覧。
  4. ^ 甲賀市史 第8巻 甲賀市事典. 甲賀市. (2016年12月12日). p. 241 
  5. ^ 昭和29年9月6日滋賀県告示第270号
  6. ^ 全日本建設技術協会滋賀県支部・滋賀県建設技術協会・滋賀県特別会員支会 (2013-03) (PDF). 滋賀県土木百年表続編(昭和47年度~平成24年度). 滋賀県建設技術センター. p. 71. https://www.sct.or.jp/app/download/14074756035/doboku02.pdf?t=1549927164 

関連項目

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