衛藤公雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

衛藤 公雄(えとう きみお、1924年 - 2012年12月24日)は、日本箏曲家

経歴[編集]

大分県出身[1]。幼時に失明したが、に才能を発揮し宮城道雄に入門、14歳で師匠となる。

1953年にアメリカに渡る[2]

渡米後はニューヨークカーネギー・ホール江藤俊哉に次いで日本人二人目となるリサイタルを開催。リンカーン・センターのフィルハーモニック・ホールでは東洋人初のリサイタルを開いた。日本武道館ビートルズ公演に先駆けて音楽演奏会を開催した初めての音楽家でもある。1965年に帰国[2]。1971年に衛藤幸明に改名し1984年、衛藤公雄と再び改名。

2012年12月24日、肺炎により死去[1][2]

長男はビクターの宣伝マンとして多くのミュージシャンを育てた衛藤弘幸、次男はパーカッションニストのスティーヴ エトウ、三男は和太鼓奏者のレナード衛藤[3]

代表作[編集]

  • 箏尺八二重奏曲「祝典」
  • 春の姿
  • 思い出(思い出のうたごえ)
  • 潮流

CD[編集]

  • 『奇蹟の爪音 箏のレジェンド──衛藤公雄』日本伝統文化振興財団 (2016/11/9)

脚注[編集]

  1. ^ a b “箏曲家の衛藤公雄さん死去”. 朝日新聞. (2012年12月25日). http://www.asahi.com/obituaries/intro/TKY201212250937.html 2017年11月11日閲覧。 
  2. ^ a b c “衛藤公雄氏が死去 箏曲家”. 日本経済新聞. (2012年12月26日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2600U_W2A221C1CC0000/ 2017年11月11日閲覧。 
  3. ^ 谷口和巳『奇蹟の爪音: アメリカが熱狂した全盲の箏曲家 衛藤公雄の生涯』[要ページ番号]

参考文献[編集]

  • 谷口和巳『奇蹟の爪音: アメリカが熱狂した全盲の箏曲家 衛藤公雄の生涯』小学館、2016年

外部リンク[編集]