藤原定任
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時代 | 平安時代中期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 従四位下、大和守 |
氏族 | 藤原北家山蔭流 |
父母 | 父:藤原為盛、母:不詳 |
兄弟 | 頼成、定任、親国、宗盛、清仲、清綱、勢好、源経相室 |
子 | 中村実宗、藤原章家、覚暹、頼緑、範緑、廉慶 |
特記 事項 | 因幡守時盛(または時成)の娘 |
藤原 定任(ふじわら の さだとう)は、平安時代中期から後期にかけての貴族。藤原北家山蔭流、越前守・藤原為盛の子。官位は従四位上・大和守。
経歴
[編集]蔵人所雑色を経て、寛仁4年(1020年)春宮・敦良親王の昇殿を許される。後朱雀朝の長久元年(1040年)伊賀守の官職にあったが、筑前守・菅野敦頼が伊賀守と官職を交換することを求め、定任は筑前守に遷ったか。
白河朝の永保元年(1081年)9月9日に大和守在職中に出家。
官歴
[編集]- 長和5年(1016年) 4月20日:見蔵人所雑色[1]
- 寛仁4年(1020年) 2月5日:春宮昇殿(春宮・敦良親王)、先雑色[2]
- 長久元年(1040年) 4月27日:見伊賀守[3]
- 時期不詳:筑前守。肥前守[4]。式部少輔[5]。
- 時期不詳:大和守
- 永保元年(1081年)9月9日:出家(大和守)[6]
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。