薬師寺元長

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薬師寺元長
時代 室町時代後期、戦国時代
生誕 不詳
死没 文亀元年12月17日1502年1月25日
別名 与一(通称)
官位 備後
幕府 室町幕府 摂津国守護代
主君 細川勝元政元
氏族 薬師寺氏
兄弟 元長、長盛
養子:元一長忠
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薬師寺 元長(やくしじ もとなが)は、戦国時代武将細川氏(京兆家)の重臣で摂津国守護代である。

生涯[編集]

管領細川勝元に仕えてその偏諱を賜り、元長と名乗る。

応仁の乱では勝元(東軍)に従って摂津を転戦し、丹波国の西軍と戦った。その功績で摂津守護代に任命され、勝元の死後は政元に仕えた。

政元のもとでも細川家の重鎮として摂津の統治を任されており、細川家に反抗的な摂津国人の茨木氏吹田時通らの追討で功績を挙げている。その後、正式なものではなかったが、実弟の薬師寺長盛に権限の一部を分け与え、長盛は「奥郡守護代」[1]とも称せられた[2]

文亀元年(1501年)12月17日、死去し、後を養子の薬師寺元一が継いだ。

脚注[編集]

  1. ^ 大乗院寺社雑事記』文明10年3月晦日条・同18年4月1日条。
  2. ^ 馬部隆弘「摂津守護代薬師寺氏の寄子編成」(初出:『新修 茨木市史年報』第115号(2017年)/所収:馬部『戦国期細川権力の研究』(吉川弘文館、2018年) ISBN 978-4-642-02950-6

関連項目[編集]