大乗院寺社雑事記
大乗院寺社雑事記(だいじょういんじしゃぞうじき)は、興福寺大乗院の門跡をつとめた尋尊・政覚・経尋の三代が書き継いだ記録の総称。宝徳2年(1450年)から大永7年(1527年)に至るおよそ80年にわたり、うち宝徳2年から永正5年(1508年)までの198巻が尋尊の筆にあたる[1]。応仁の乱前後の室町時代を知る根本史料の一つとされる[2]。原本は国立公文書館が所蔵し、重要文化財に指定されている。
構成
[編集]一続きの日記ではなく、性格の異なる複数の記録群を合わせた総称である。刊本の目次は「寺務方諸廻請」「尋尊大僧正記」といった系列を立て、それぞれを年次の順に並べる[1]。尋尊の書いた部分はとくに「尋尊大僧正記」「尋尊大僧正記補遺」と呼ばれる[2]。
内容は、応仁の乱を中心とする政治・経済・宗教の各方面にわたる[1]。またほとんどの巻に紙背文書があり、本文とあわせて史料となっている[要出典]。
尋尊は大乗院に伝わる日記類を編纂して『大乗院日記目録』も作成しており、こちらは年代記の体裁をとる。
内容
[編集]記されるのは興福寺の寺務と法会、所領の経営、そして奈良の町に起きた出来事である。
大和の国人の動向を伝える点でも用いられる。とくに大乗院方の衆徒であった古市氏については、胤仙から胤栄・澄胤の代にかけての記事が多く、田中慶治は古市氏の家臣団編成を論じるにあたり本記録と『経覚私要鈔』を主たる史料に据えている[3]。
大乗院領の荘園についての記事も多く、越前国の河口荘・坪江荘をめぐる朝倉氏や甲斐氏との交渉、代官職の補任と年貢の未進などが追える[4]。
文化の記録としても引かれる。淋汗茶湯や風流踊、連歌、猿楽の記事があり、文明元年(1469年)に古市播磨(澄胤)の一族が催した淋汗茶湯は、茶の湯の歴史においてしばしば取り上げられる[5]。
刊本と索引
[編集]刊本
[編集]索引・研究
[編集]- 史料研究の会 編『大乗院寺社雑事記総索引』上巻(人名篇)1988年・下巻(地名・件名篇)1989年、臨川書店[7]
- 『大乗院寺社雑事記研究論集』全5巻、同研究会 編、和泉書院、2001年 - 2016年
総索引は見出し語に没日・号・続柄などを註記しており、人名の比定に用いられる[7]。
脚注
[編集]- 1 2 3 4 辻善之助 編・校訂『大乗院寺社雑事記』第1巻、角川書店、1964年、解題。
- 1 2 竹内理三・高柳光寿 編『日本史辞典』第二版、角川書店。
- ↑ 田中慶治「中世後期畿内国人層の動向と家臣団編成 — 大和国古市氏を中心に —」『日本史研究』第406号、日本史研究会、1996年。
- ↑ 笠原一男『中世における真宗教団の形成』山喜房仏書林、1957年。
- ↑ 桑田忠親『世阿弥と利休 — 能楽と茶道』至文堂、1956年。
- ↑ 辻善之助 編『大乗院寺社雑事記』三教書院、1931年-1937年(国立国会図書館デジタルコレクション)。
- 1 2 史料研究の会 編『大乗院寺社雑事記総索引』上巻(人名篇)・下巻(地名・件名篇)、臨川書店、1988年・1989年。
参考文献
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 国指定文化財等データベース:主情報詳細 - 文部科学省による大乗院寺社雑事記の解説