菟道貝蛸皇女

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菟道貝蛸皇女(うじのかいたこのひめみこ、生没年未詳)は、飛鳥時代皇族敏達天皇推古天皇の皇女[1]聖徳太子いとこでありとなった。だが、子もなく結婚後まもなく逝去したと思われる。同母弟に竹田皇子尾張皇子(聖徳太子の妃橘大郎女の父)、同母妹に小墾田皇女押坂彦人大兄皇子妃)・田眼皇女(後の舒明天皇妃)・桜井弓張皇女(押坂彦人大兄皇子及び来目皇子の妃か)らがいる。

『日本書紀』において敏達天皇7年に「菟道皇女」が伊勢神宮に任じられて、すぐに犯されたため解任されたと記されているが、菟道貝蛸皇女と同一人物であるかは定かでない[2]


関連項目[編集]

磐城皇女

脚注[編集]

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  1. ^ 「推古天皇」『世界大百科事典』平凡社。
  2. ^ 『日本書紀』敏達天皇七年「春三月戊辰朔壬申、以菟道皇女侍伊勢祠。卽姧池邊皇子、事顯而解」。「伊勢祠」は斎宮の前身と考えられている。なお、甘美媛が敵将によって強姦された際に「姧」字が用いられているように、『日本書紀』において「姧」は強姦の意味で用いられていた(金子幸子編『日本女性史大辞典』吉川弘文館、2007年の項目「強姦」)。