コンテンツにスキップ

若敖

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
若敖 熊儀
国名
在位期間 紀元前791年 - 紀元前764年
都城 喬多
[1]
姓・諱 熊儀
諡号 若敖
没年 紀元前764年
熊咢
后妃 䢵子の娘[2]

若敖(じゃくごう、? - 紀元前764年、在位:紀元前791年 - 紀元前764年)は、中国西周末期 - 春秋時代初期のの君主。

生涯

[編集]

熊咢の子として生まれた。熊咢9年(紀元前791年)、熊咢が死去すると、熊儀は楚子として立った。若敖27年(紀元前764年)、死去した。「若敖」の諡号が贈られた(「若」は埋葬された地名、「敖」は酋長を意味する)。これより楚の君主の諡号制度が始まったとされる。子の熊坎(霄敖)が後を嗣いだ[3]。また䢵子の娘が生んだ子に鬬伯比があった[2]

脚注

[編集]
  1. 浅野裕一清華簡『楚居』初探』p.264
  2. 1 2 春秋左氏伝』宣公四年
  3. 史記』楚世家
先代
熊咢
前791年 - 前764年
次代
霄敖