花城宗義

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花城宗義(はなぐすく そうぎ、生年不詳 - 正徳16年7月27日1521年9月8日))は琉球王国第一尚氏王統の人。呉氏大宗家(呉氏我那覇家)の二世で唐名は呉起良、童名を真嘉那といい、呉弘肇・泊里主宗重の次男。

略歴[編集]

生年は不詳であるが、長女である思乙金按司の生年が成化18年(1482年)であることから、1470年以前であることが推測される。この長女は尚真王の長男:尚維衡・浦添王子朝満に嫁いでおり、朝満が廃嫡の憂き目にあったとき、宗義は岳父としてこれを助け、浦添城に住まわせた。

正徳元年(1506年)には王舅となり、正徳帝登極を祝う慶賀使として中国へ渡っている(なお、『歴代宝案』『中山世譜』における記事では、宗義は亜嘉尼施(すなわち采地名の中西か)という名で記載されている)。古の人物につき文献資料が少なく、細かな業績を知るすべはないが、王舅に任命されていることから、かなりの実力者であることがうかがえる。

系譜[編集]

呉弘肇・泊里主宗重の次男として生まれる(母は泊大阿母潮花司)。長兄に保栄茂親方宗友(唐名は不伝)がいたが、兄は家統を継がず、次男であった宗義が継いでいる。

室に麻省功・大城子真宗(麻普蔚・大城按司真武の長男)の娘:思乙をむかえ、一男一女をもうけた。

  • 父:呉弘肇・泊里主宗重
  • 母:泊大阿母潮花司 (号は中岳)
    • 兄(長男):保栄茂親方宗友 (唐名不伝)
  • 室:麻氏思乙 (麻省功・大城子真宗の娘)
    • 長女:思乙金按司 (尚維衡・浦添王子朝満に嫁ぐ)
    • 長男:呉寧宗・安次峯親雲上宗恒

経歴(月日は旧暦)[編集]

  • 1470年以前(成化6以前) - 生まれる。
  • 1482年(成化18) - 娘の思乙金按司が生まれる。
  • 1488年-1505年弘治年間) - 浦添間切中西地頭職となり紫冠に叙せられる(→中西親方宗義)
  • 1500年ごろ - 廃嫡された尚維衡・浦添王子朝満を助け、浦添城に住まわせる。
  • 1506年正徳元) - 王舅として中国へ渡る(正徳帝登極の慶賀使節)。
  • 1506年-1521年(正徳年間) - 具志頭間切花城地頭職となる(→花城親方宗義)
  • 1521年(正徳16)7月27日 - 亡くなる。