臼井倹吾
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臼井 倹吾 | |
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生誕 |
1892年12月10日 日本 栃木県 |
死没 | 1975年1月5日(82歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1914年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
臼井 倹吾(うすい けんご、1892年(明治25年)12月10日[1] - 1975年(昭和50年)1月5日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
経歴
[編集]1892年(明治25年)に栃木県で生まれた[1]。陸軍士官学校第26期[2]、陸軍大学校第38期卒業[1]。1936年(昭和11年)12月に鎮海湾要塞参謀に就任し[2]、1937年(昭和12年)11月に陸軍砲兵大佐に進級した[2]。1938年(昭和13年)7月に留守第20師団参謀長に転じ[2]、1939年(昭和14年)12月に陸軍野戦砲兵学校教官を経て[2]、1940年(昭和15年)12月に第9砲兵団長に就任した[2]。
1941年(昭和16年)8月に陸軍少将に進級し[2]、1942年(昭和17年)5月に陸軍科学学校幹事に就任した[1]。1943年(昭和18年)9月に室蘭防衛司令官に転じ[1]、1944年(昭和19年)12月16日に東部軍司令部附となり[1]、1945年(昭和20年)1月25日に待命[3]、1月26日に予備役に編入された[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。