細川博子

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細川 博子(ほそかわ かねこ、1889年1月22日 - 1972年10月27日[1])は、日本華族家の女性。侯爵池田詮政の娘で、侯爵・細川護立の妻。

概要[編集]

岡山藩池田家第13代当主・池田詮政の長女として生まれる。母は薩摩藩第12代藩主・公爵島津忠義の三女・充子(みちこ、1873年 - 1958年)。その後、肥後細川家第15代当主・細川護立と結婚し、近衞文麿の下で内閣総理大臣秘書官を務め、父同様に美術愛好家として知られた細川護貞と、葛城茂麿の妻・敏子を儲けた。孫は内閣総理大臣などを務めた細川護熙近衞家当主の近衞忠煇表千家の千宗左(14代)夫人・明子。

脚注[編集]

  1. ^ 平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.477