大司農

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大司農(だいしのう)は古代中国の官職名。

秦漢代[編集]

漢代では国家の財政を管理し、後に朝廷の物資の管理を行うようになった。元来は治粟内史と称したが、前143年前漢景帝により大農令とされ、前104年太初元年)に武帝により大司農と改称された。新朝が成立すると羲和とされ、後に納言と改称されたが、後漢が成立すると再び大司農に戻された。武帝の時代以降は、九卿の一つとされた。

この時代は財政を管轄し、王朝における財政を主管し、皇帝の財産を管理する少府と並ぶ存在であった。属官には太倉(穀物の管理)、均輸(物資供給)、平準(物資価格の調節)、都内(国庫の管理)、籍田(皇帝の直轄地の財政管理)の5令が設置された。また武帝が塩鉄の専売を開始すると、その管理も職掌に追加されている。

漢末以降になると、財政は尚書の主管となり、また各種財政・物資を管理する官が設置され、大司農の職掌は縮小されていった。

三国時代[編集]

三国時代になると魏朝大農を設置、221年黄初2年)には大司農と改称されている。またも同様に大司農を設置している。漢代には租税の徴収や銭・穀物の管理、塩鉄の専売など朝廷における財政の主管機関であったが、三国時代になると業務の大部分がほかの官衙に移されている。

南北朝時代以降[編集]

南北朝時代以降、大司農の業務は新設された尚書に移管、財務業務を主管せず朝廷の倉庫を管理する官職となり司農卿と称され、隋代から宋代に沿襲されている。元代になると大司農司が設置され、農業振興や水利、天災などの対応がその職掌とされたが、明代に廃止となり、大農司の業務は戸部に移管された。しかし明清代には戸部が糧田租税の業務を主管したことより、戸部尚書を大司農と称していた。