検索結果

(前の20件 | ) (20 | 50 | 100 | 250 | 500 件) を表示
  • 日本の歴史上の官名 天武天皇期に置かれた大臣に次ぐ官職。また、後にこの職を分割して成立した大納言・中納言・少納言の総称 正院におかれた官職 納言 (お笑いコンビ) 「納言」で始まるページの一覧 タイトルに「納言」を含むページの一覧 このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職…
    787バイト (189 語) - 2023年10月25日 (水) 15:44
  • 納言(だいなごん)は、太政官に置かれた官職の一つ。太政官においては四等官の次官(すけ)に相当する。訓読みは「おほいものまうすのつかさ」。唐名は亜相または亜槐。丞相・槐門(いずれも大臣のこと)に次ぐ者であることからいう。官位相当は三品・四品または正三位。現代の国務大臣に相当する政府の高官。…
    4キロバイト (628 語) - 2024年5月7日 (火) 00:08
  • 納言(ちゅうなごん)は、太政官に置かれた令外官のひとつ。太政官においては四等官の次官(すけ)に相当する。訓読みは「すけのものまうすつかさ」あるいは「なかのものまうすつかさ」。 天武天皇の治世下に「納言」という官職が存在し、飛鳥浄御原令の下でも「中納言」という名称の官職が設置されているが、これが後…
    9キロバイト (1,543 語) - 2023年8月15日 (火) 04:56
  • 納言 (お笑いコンビ)のサムネイル
    納言(なごん)は、太田プロダクションに所属する安部紀克と薄幸からなる日本の男女お笑いコンビ。 安部 紀克(あべ よしかつ、1992年6月12日 - )(31歳) ツッコミ(コントではボケ)担当、立ち位置は向かって左。 薄 幸(すすき みゆき、1993年1月24日 - )(31歳)…
    14キロバイト (1,385 語) - 2023年11月27日 (月) 00:25
  • 納言(しょうなごん/すないものもうし)は日本の朝廷の最高機関である太政官の職の一つ。 唐名(漢風名称)は給事中。四等官の中の判官(じょう)に相当する。官位相当は従五位下。定員は3人だが、員外少納言・権少納言が置かれた時期がある。 左弁官局・右弁官局とともに議政官(大臣・大納言・中納言
    2キロバイト (294 語) - 2023年8月11日 (金) 05:31
  • 清少納言のサムネイル
    清 少納言(せい しょうなごん、旧字体:淸 少納󠄁言、康保3年頃〈966年頃〉 - 万寿2年頃〈1025年頃〉)は、平安時代中期の女房、作家、歌人。随筆『枕草子』は平安文学の代表作の一つ。歌人としては中古三十六歌仙、そして女房三十六歌仙の一人でもある。 正確な生没年や本名は不明である。生没年は、岸…
    31キロバイト (4,624 語) - 2024年5月9日 (木) 03:40
  • 藤原公任のサムネイル
    藤原公任 (納言公任からのリダイレクト)
    公任(ふじわら の きんとう)は、平安時代中期の公卿・歌人。藤原北家小野宮流、関白太政大臣・藤原頼忠の長男。官位は正二位・権大納言。中古三十六歌仙の一人、百人一首では大納言公任、『和漢朗詠集』の撰者としても知られる。 祖父・実頼、父・頼忠はともに関白・太政大臣を務め、母(醍醐天皇の孫)・妻(村上天…
    25キロバイト (4,406 語) - 2024年4月25日 (木) 10:59
  • 納言(しなごん)とは、平安時代中期一条天皇の時代に活躍した4人の公卿(源俊賢・藤原公任・藤原斉信・藤原行成)の称。藤原斉信が大納言、他の3名が権大納言まで昇ったことからこの称がある。「寛弘の四納言」とも言う。 「四納言」という言葉は、『十訓抄』(第一、四納言
    11キロバイト (2,129 語) - 2024年4月13日 (土) 04:24
  • 大江匡房のサムネイル
    大江匡房 (前中納言匡房からのリダイレクト)
    の まさふさ)は、平安時代後期の公卿、儒学者、歌人。大学頭・大江成衡の子。官位は正二位・権中納言。江帥(ごうのそつ)と号す。藤原伊房・藤原為房とともに白河朝の「三房」と称された。小倉百人一首では権中納言匡房。鎌倉幕府創建に功を成した大江広元は曾孫にあたる。…
    17キロバイト (2,760 語) - 2023年11月17日 (金) 06:25
  • 藤原定家のサムネイル
    藤原定家 (権中納言定家からのリダイレクト)
    さだいえ/ていか)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公家・歌人。藤原北家御子左流、正三位・藤原俊成の二男。最終官位は正二位・権中納言。京極殿または京極中納言と呼ばれた。『小倉百人一首』の撰者で権中納言定家を称する。 平安時代末期から鎌倉時代初期という激動期を生き、歌道における御子左家の支配的地位を確立。日本の代表的な歌道の宗匠として永く仰がれてきた。…
    50キロバイト (7,944 語) - 2024年5月7日 (火) 15:26
  • 大伴家持のサムネイル
    大伴家持 (納言家持からのリダイレクト)
    やかもち)は、奈良時代の公卿・歌人。大納言・大伴旅人の子。官位は従三位・中納言。三十六歌仙の一人。小倉百人一首では中納言家持。 『万葉集』の編纂に関わる歌人として取り上げられることが多いが、大伴氏は大和朝廷以来の武門の家であり、祖父、安麻呂、父、旅人と同じく律令制下の高級官吏として歴史に名を残し、延暦年間には中納言にまで昇った。…
    18キロバイト (2,652 語) - 2024年4月28日 (日) 13:16
  • 藤原長方のサムネイル
    藤原長方 (権中納言長方からのリダイレクト)
    藤原 長方(ふじわら の ながかた)は、平安時代後期の公卿・歌人。藤原北家勧修寺流葉室家、権中納言・藤原顕長の子。官位は従二位・権中納言。藤原俊成の甥で藤原定家の従兄に当たる。 久安2年(1146年)従五位下に叙爵。久寿2年(1155年)従五位上・丹波守に叙任され、保元元年(1156年)中宮権大進を兼ねる。…
    7キロバイト (1,099 語) - 2022年5月7日 (土) 10:52
  • 伴大納言絵詞のサムネイル
    伴大納言絵詞(ばんだいなごんえことば、とものだいなごんえことば)とは、応天門の変を題材にした平安時代末期の絵巻物。『伴大納言絵巻』ともいう。日本の国宝。『源氏物語絵巻』、『信貴山縁起絵巻』、『鳥獣人物戯画』と並んで四大絵巻物と称される。作者は常盤光長(ときわみつなが)とされている。…
    14キロバイト (2,222 語) - 2024年3月31日 (日) 23:55
  • 豊臣秀長のサムネイル
    豊臣秀長 (大和大納言からのリダイレクト)
    最終的には大和・紀伊・和泉の3ヶ国に河内国の一部を加え、約110余万石の大名となるに至る。また官位も従二位権大納言に栄進したことから、大和大納言と尊称された。秀吉は秀長を隣に配して重用し、また秀長も秀吉に異を唱え制御できる人物であった。短期間で成長を遂げ、徳川家康や伊達政宗な…
    28キロバイト (4,136 語) - 2024年4月10日 (水) 01:14
  • 藤原朝忠のサムネイル
    藤原朝忠 (納言朝忠からのリダイレクト)
    康保3年12月2日(967年1月15日))は、平安時代中期の公家・歌人。藤原北家高藤流、右大臣・藤原定方の五男。官位は従三位・中納言。土御門中納言または堤中納言と号する。小倉百人一首では中納言朝忠。三十六歌仙の一人。 醍醐朝にて、左近衛将監・東宮侍従(春宮は寛明親王)を経て、延長4年(926年)従五位下に叙爵…
    8キロバイト (1,075 語) - 2024年2月23日 (金) 13:27
  • 藤原兼輔のサムネイル
    藤原兼輔 (納言兼輔からのリダイレクト)
    承平3年2月18日(933年3月16日))は、平安時代中期の公家・歌人。藤原北家、右中将・藤原利基の六男。賀茂川堤に邸宅があったことから堤中納言と号した。小倉百人一首では中納言兼輔。三十六歌仙の一人。 醍醐天皇の外戚であったことからその春宮時代より仕える。この頃のちに義父となる醍醐天皇の伯父で右大臣に昇る藤…
    7キロバイト (882 語) - 2024年1月17日 (水) 07:34
  • 在原行平のサムネイル
    在原行平 (納言行平からのリダイレクト)
    ゆきひら)は、平安時代初期から前期にかけての公卿・歌人。平城天皇の第一皇子である弾正尹・阿保親王の次男(または三男)。官位は正三位・中納言。在中納言・在民部卿とも呼ばれた。小倉百人一首では中納言行平。 天長3年(826年)父・阿保親王の奏請により兄弟と共に在原朝臣姓を賜与され、臣籍降下する。…
    11キロバイト (1,616 語) - 2022年1月28日 (金) 05:50
  • 源経信のサムネイル
    源経信 (納言経信からのリダイレクト)
    つねのぶ)は、平安時代後期の公家・歌人。宇多源氏、権中納言・源道方の六男。官位は正二位・大納言。桂大納言と号す。小倉百人一首では大納言経信。 後一条朝の長元3年(1030年)従五位下に叙爵し、長元6年(1033年)三河権守に任官する。その後、後朱雀朝から後冷泉朝前半にかけて刑部少輔・少納言
    11キロバイト (1,559 語) - 2023年4月7日 (金) 06:07
  • 徳川忠長のサムネイル
    徳川忠長 (駿河大納言からのリダイレクト)
    徳川 忠長(とくがわ ただなが)は、江戸時代前期の大名。極位極官が従二位大納言で、領地が主に駿河国だったことから、通称は駿河大納言(するがだいなごん)。徳川家康の孫にあたる。 慶長11年(1606年)、将軍徳川秀忠の三男として江戸城西の丸にて生まれる。母は太閤豊臣秀吉の養女・達子(浅井長政の三女)幼…
    25キロバイト (3,686 語) - 2023年11月22日 (水) 00:30
  • 藤原定頼のサムネイル
    藤原定頼 (権中納言定頼からのリダイレクト)
    ポータル 文学 藤原 定頼(ふじわら の さだより)は、平安時代中期の公卿・歌人。藤原北家小野宮流、権大納言・藤原公任の長男。官位は正二位・権中納言。中古三十六歌仙の一人。小倉百人一首では権中納言定頼。 寛弘4年(1007年)末に元服して従五位下に叙爵し、年が明けて侍従に任ぜられる。寛弘6年(100…
    9キロバイト (1,412 語) - 2024年4月2日 (火) 05:32
  • 大 納 言(だいなごん, おおいものもうすつかさ) (だいなごん, おおいものもうすつかさ)律令制で、左大臣、右大臣、内大臣に続く4番目の官位。 (だいなごん)大納言小豆の略称。 太政官, 左大臣, 右大臣, 内大臣, 中納言, 少納言 亜槐, 亜相
  • 堤中納言物語の底本一覧 姉妹プロジェクト:Wikipediaの記事 『堤中納言物語』(つつみちゅうなごんものがたり)は、日本の平安時代後期以降に成立した短編物語集。編者は不詳。10編の短編物語および1編の断片からなるが、成立年代や筆者はそれぞれ異なり、遅いものは13世紀以後の作品と考えられる。—
  • 清少納言(せいしょうなごん、966年(康保三年)頃) - 1025年(万寿二年頃)は平安時代中期の日本の歌人、清原元輔の娘。清原深養父は曽祖父。中宮定子に女房として仕え、『枕草子』を著した。 春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは少し明りて紫だちたる雲の細くたなびきたる。
(前の20件 | ) (20 | 50 | 100 | 250 | 500 件) を表示