笠原章平

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笠原 章平(かさはら しょうへい、1939年7月21日 - )は、日本ハンマー投選手。

1964年東京オリンピックに出場した[1]

経歴[編集]

埼玉県比企郡竹沢村(現在の小川町)出身[2]埼玉県立松山高等学校に入学[2]。兄が松山高校の陸上部元主将であった縁で、陸上部に属することとなった[2]。ハンマー投げは高校在学中から始め、県大会優勝やインターハイ準優勝といった成績を残した[2]

中央大学に進学。1962年(昭和37年)に中央大学を卒業し、東急電鉄に入社、実業団チームに属する[2]。1964年(昭和39年)8月の記録会で、自己最高記録(65m01)を出す[2]1964年東京オリンピックのハンマー投で出場するが、予選落ち[2]。後年の取材によれば「周囲の期待を裏切ってしまったという申し訳なさから、東京五輪出場の話題は長く封印してきた」という[2]

東京オリンピック後は競技を離れた[2]。退職後は、中央大学陸上競技部OB会会長などを歴任[2]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ Olympics”. sports-reference. 2012年5月14日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j “五輪イヤー 1964年出場アスリートに聞く 埼玉”. 産経新聞. (2020年1月1日). https://www.sankei.com/article/20200101-W3J7A5EYGJOPVMQQWDPJS567KM/ 2021年7月28日閲覧。 

関連項目[編集]