立川志遊

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立川たてかわ 志遊しゆう
立川(たてかわ) 志遊(しゆう)
丸に左三蓋松は、立川流の定紋である。
本名 樋口 浩司
生年月日 (1967-05-17) 1967年5月17日(56歳)
出身地 日本の旗 日本東京都北区赤羽
師匠 七代目立川談志
名跡 1. 立川志楼
(1991年 - 1999年)
2. 立川志遊
(1999年 - )
出囃子 並木駒形
活動期間 1991年 -
所属 落語立川流
公式サイト 立川志遊ブログ ロードto◯◯◯
受賞歴
第4回さがみはら若手落語家選手権優勝

立川 志遊(たてかわ しゆう、1967年5月17日 - )は東京都北区赤羽出身[1]落語家。本名∶樋口 浩司[2]落語立川流所属。出囃子は「並木駒形」[2]

経歴[編集]

1991年3月 テレビで見た七代目立川談志の落語『黄金餅』に心を射抜かれ、在学していた埼玉大学を中退し落語立川流に入門[3][2]。前座名「志楼」[4]

1999年11月 二ツ目昇進、高座名「志遊」と改名[1]

2009年6月 真打昇進[1]

芸歴[編集]

人物[編集]

正当派の古典落語を大事にする。毒々しさが控えめの柔らかい口調が特徴で、端正な語り口が特徴。得意ネタは「狸賽」「笑茸」「ねずみ」など。物腰の柔らかい個性を生かした人情噺が聞き所である。

「日暮里寄席」や「上野広小路亭」で行われる立川流一門の定期興行内で「志遊の会」という独演会を積極的に実施している。

血液型はB型[2]

真打ち披露宴には毒蝮三太夫が出席した。ラジオ番組「マルエツ・ミュージックプレゼント」の収録会場で志遊の義父がそのことを自慢した。毒蝮は「2000万円持っていったっけな」とこれに応え、現場を沸かせた。

平塚発」の新しい落語を望む市民団体の声に応えて、創作落語『源平盛衰記外伝 石橋山合戦相模武士の誉〜真田与一編〜』を完成させた[4]

メジャーリーグベースボールの「ボルチモア・オリオールズ」のファンである。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 立川志遊ブログ ロードto◯◯◯”. shiyutatekawa.blogspot.com. 2020年11月24日閲覧。
  2. ^ a b c d 大和田落語会出演者プロフィール”. old.oowada-rakugo.com. 2020年11月24日閲覧。
  3. ^ 落語立川流“十六番目の男”真打ち昇格祝い(スポニチ、2009年5月23日)”. 2017年2月23日閲覧。
  4. ^ a b 立川 志遊さん(本名:樋口浩司) | 平塚ゆかりの武将で創作落語の台本を制作した | 平塚”. タウンニュース (2020年10月29日). 2020年11月24日閲覧。

外部リンク[編集]