秋月城 (紀伊国)

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秋月城
和歌山県
城郭構造 平城
築城主 紀俊連
築城年 延徳年間
主な改修者 紀氏太田氏
主な城主 板垣周防守
廃城年 1585年
遺構 曲輪、空堀
指定文化財 なし

秋月城(あきづきじょう)は、紀伊国名草郡秋月村[1](現・和歌山県和歌山市秋月[2])にあった日本の城

概要[編集]

延徳年間(1489 – 1492年)に国造紀俊連日前神宮國懸神宮保護のために築き、飯垣周防守[3]に守らせたと言われるが、文明年間(1469 – 1487年)の築城という説もある[4]

戦国時代には太田党の支城として役割を果たしたが、1585年天正13年)の豊臣秀吉紀州攻めにより廃城となる。

城は平城和歌山県道145号 鳴神 木広線(通称 宮街道)が横切っているため、城址はほとんど残っていない。わずかに曲輪跡がわかる程度。規模は東西20m、南北54m[4]

脚注[編集]

  1. ^ のち宮村秋月。同村には旧太田北出島新内出水有家津秦吉田納定黒田中野島各村を含む
  2. ^ 太田出水黒田鳴神有家津秦井辺岩橋
  3. ^ 飯垣氏
  4. ^ a b 『日本城郭体系』10、新人物往来社、1980年、458頁。

関連項目[編集]