石垣島製糖
表示
本社・工場 | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
略称 | 石糖[2] |
本社所在地 |
日本 〒907-0021 沖縄県石垣市字名蔵243番地 |
設立 | 1961年9月1日 |
業種 | 食料品 |
法人番号 | 5360001013035 |
事業内容 | 分蜜糖・糖蜜の製造・販売 |
代表者 | 松林 豊(代表取締役社長) |
資本金 | 2億6,230万円 |
発行済株式総数 | 17万2,000株 |
売上高 | 14億8,647万2千円(2017年6月期) |
営業利益 | 4,424万7千円(2017年6月期) |
純利益 | 1億3,186万7千円(2017年6月期) |
純資産 |
21億5,730万4千円 (2017年6月30日現在) |
総資産 |
24億3,459万2千円 (2017年6月30日現在) |
従業員数 | 43人(2017年6月30日現在) |
決算期 | 6月30日 |
主要株主 |
大日本明治製糖(株) 70.90% 三菱商事(株) 16.30% 琉球海運(株) 4.50% 沖縄県農業協同組合 2.90% (2017年6月30日現在) |
外部リンク | http://www.ishitou.jp/ |
特記事項:特記した以外は「有価証券報告書 第56期 (PDF) 」による |
石垣島製糖株式会社(いしがきじませいとう、Ishigakijima Sugar Manufacturing Co., Ltd.)は、沖縄県石垣市(石垣島)に本社を置く製糖会社である。
概要
[編集]大手製糖会社の大日本明治製糖系列である。
石垣市に工場を有する[3]。この工場は1961年(昭和36年)の創業時に建設したもので、老朽化し処理能力が低下しているため、新工場の建設が計画されている[4]が、莫大な費用が必要となるため見通しは立っていない[5]。
沿革
[編集]八重山製糖
[編集]- 1957年(昭和32年)7月17日 - 八重山製糖株式会が設立される(処理能力 300トン/日)[6]。
- 1958年(昭和33年)11月 - 八重山製糖が大日本製糖と提携[7]。
- 1959年(昭和34年)1月9日 - 工場落成[6]。
- 1961年(昭和36年)3月 - 処理能力を500トン/日に増強[7]。
石垣島製糖
[編集]- 1961年(昭和36年)9月 - 石垣島製糖株式会社が設立される。24ヶ所の小型工場を買収し黒糖を生産[8]。
- 1962年(昭和37年)2月 - 1億3,725万円(45万ドル)の増資を行う[8]。
- 1962年(昭和37年)12月9日 - 工場落成(原料処理能力 500トン/日)[6]。
- 1962年(昭和37年)12月 - 石垣島製糖が大日本製糖と提携[7]。
- 1967年(昭和42年)6月11日 - 石垣島製糖が八重山製糖を吸収合併する[8]。
- 1972年(昭和47年)6月 - 逐次設備を増強し、公称能力が850トン/日となる[8]。
- 1974年(昭和49年)8月 - 原料減産に伴い大浜工場(旧八重山製糖、公称能力500トン/日)を売却する[8]。
- 1982年(昭和57年)9月 - 原料増産に伴い連続分離機設備を増強し、公称能力が899トン/日となる[8]。
- 2003年(平成15年)10月 - 農林水産省の甘しゃ糖製造合理化対策事業計画に基づき設備を増設・更新し、公称能力が1,000トン/日となる[8]。
-
旧大浜工場煙突
脚注
[編集]- ^ Ishigakijima Sugar Manufacturing Co Ltd: Company Profile Bloomberg
- ^ 石糖が分蜜糖を初出荷 糖度向上で歩留まり良し 八重山毎日新聞、2017年1月27日
- ^ 有価証券報告書 第56期 (PDF)
- ^ “石垣島製糖、新工場建設へ”. 八重山毎日新聞. (2017年9月28日)
- ^ “石糖新工場建設計画 県、関係機関が検討開始”. 八重山毎日新聞. (2020年7月1日)
- ^ a b c “八重山 近・現代史 略年表 1945年(昭和20)8月15日~1972年(昭和47)5月14日”. 石垣市 (2020年3月2日). 2020年12月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月6日閲覧。
- ^ a b c 斉藤高宏「沖縄のサトウキビ生産と糖業に関する「覚書」(下)」『農総研季報』第35巻、農林水産省農業総合研究所、1997年9月、25-61頁。
- ^ a b c d e f g 会社概要 石垣島製糖株式会社