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矢野茂 (検察官)

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矢野 茂(やの しげる、1853年7月11日嘉永6年6月6日[1]) - 1935年昭和10年)3月23日[2])は、明治から昭和時代初期の司法官広島控訴院検事長

経歴

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矢野彦蔵の長男としてのちの熊本県に生まれ、幼くして矢野吉蔵の養子となり家督を相続する[1]司法省法学校速成科第一期生[3]1875年(明治8年)司法省に出仕し、1881年(明治14年)判事に進み、1886年(明治19年)控訴院評定官となる[1]。間もなく大阪控訴院判事に任じ、関西法律学校(のちの関西大学)にも出講した[3]。同年高知地方裁判所長に転任し、1893年(明治26年)長崎地方裁判所長、1901年(明治34年)長崎控訴院検事を経て、1902年(明治35年)広島控訴院検事長に任じた[1]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d 人事興信所 1903, 903頁.
  2. ^ 『官報』第2471号「彙報」昭和10年4月1日。
  3. ^ a b 『関西大学百年史』 通史編上巻、104頁
  4. ^ 人事興信所 1928, ヤ17頁.

参考文献

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公職
先代
水上長次郎
日本の旗 広島控訴院検事長
1902年 - 1905年
次代
川淵竜起
先代
松室致
日本の旗 長崎控訴院検事長
1901年 - 1902年
次代
水上長次郎