盛泉寺

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盛泉寺(じょうせんじ)は、長野県松本市波田にある曹洞宗寺院である。山号は天陽山、通称水沢観音。1552年天文21年)に創建された。本尊は釈迦牟仏である。シダレザクラの名所。廃仏毀釈廃寺となった若沢寺旧蔵の仏像を保管していることで知られる。

概要[編集]

境内はすべて山裾の傾斜地を切り開いたもので、山門の下を黒川堰の流れが横切る。春のしだれ桜と鐘楼堂のとり合わせ、秋の紅葉と鐘楼堂のとり合わせが知られる。

歴史[編集]

寺伝によると、1552年(天文21年)に神林地頭・常和泉殿が「常泉寺」として建立され、慶長年間(1596年1615年)に瑞松寺第二世柏鷹正庭が開山した[1]。その後、1659年万治2年)に、寺の隆盛を期して寺名変更を願い出て、1670年寛文10年)に、「盛泉寺」に改められた[1]

1870年明治3年)に、松本藩廃仏毀釈の藩令を出し、これを強力に押し進めたことから苦境に陥るが、寺の存続がかなった理由の一つに、天領和田檀家があったことが上げられるという[1]1873年(明治6年)から1875年(明治8年)までは、明智学校(当時の波多村に置かれた小学校3つの1つ)の校舎として使われた[1]

太平洋戦争のために、1730年享保15年)造の梵鐘金属供出の難に遭ったが、1958年昭和33年)に香取正彦の手になる梵鐘が再興された[1]本尊千手観音は、坂上田村麻呂に付けられていたものとされるが、現存するものは同様に、1956年(昭和31年)に香取正彦が造った黄金仏である[1]

水沢観音堂[編集]

水沢観音堂は、廃仏毀釈により取り壊された若沢寺にあった救世殿を盛泉寺に移し、観音堂として1895年頃(明治20年代後半)に再建したもので、銅造菩薩半跏像、銅造伝薬師如来坐像御正体残闕、銅造菩薩立像、木像(不動明王立像)、真言宗祖師像(木像弘法大師坐像・木像興教大師坐像)2体、絹本不動明王掛軸などを収蔵している。建物は1984年昭和59年)に改築された。子授け、アカギレ、イボ等にご利益があるとされる。若沢寺は、信濃国内有数の古刹で、江戸時代後期には「信濃日光」と称されるほどの規模を誇ったが、明治初年の廃仏毀釈で取り壊されて廃寺となった。盛泉寺が信濃三十三観音霊場の第25番札所であるのも、若沢寺からの継承である。山門前の六地蔵も、もとは若沢寺にあったものである。

参道入り口の六地蔵。もと若沢寺に鎮座 
旧若沢寺の銅造菩薩半跏思惟像 
本殿 
山門前 
旧若沢寺の仏を納める水沢観音堂 
薬師如来堂 

札所[編集]

水澤観音ご詠歌『参るより 心も清き水澤の 誓いも深き み寺なりけり』

アクセス[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f 『波多町誌 歴史現代編』1316~1317ページ

参考文献[編集]

  • 波田町誌編纂委員会『波田町誌 歴史現代編』波田町教育委員会、1987年3月
  • あずさ書店編集部『幻の大寺院 若沢寺を読みとく』あずさ書店、2010年9月、ISBN9784900354678
  • 『松本市波田 観光ガイド』2010年版冊子
  • 藤本勇三『心の旅路 信濃三十三番観音札所めぐり』コロニー印刷、1974年11月

外部リンク[編集]