盛宣懐

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盛宣懐
盛宣懐の書法

盛 宣懐(せい せんかい、Sheng Xuanhuai1844年11月4日 - 1916年4月27日)は、末の政治家・実業家。字は杏蓀または幼勖洋務運動の代表人物。江蘇省常州出身。出自は漢民族

来歴[編集]

父の盛康李鴻章と交友があった関係で、同治9年(1870年)に李鴻章の幕僚となった。

盛宣懐は李鴻章に数々の経済発展とインフラ整備を勧め、商船の建造を李鴻章に提言し採用、李鴻章が輪船招商局を設立すると事業を委任され、光緒元年(1875年)には湖北省石炭鉱の業務を委託された。光緒5年(1879年)には李鴻章に電報事業を提言し、光緒7年(1881年)には天津上海間の電報事業を開始した。翌8年(1882年)には、外国人が沿海部に電報網を開設するのを阻止するため、上海から広州寧波福州アモイに電報線を敷設した。更に光緒18年(1892年)、上海で華盛紡織総廠を開いて紡績事業を始めた。

光緒21年(1895年)、直隷総督北洋通商大臣王文韶(李鴻章の後任)を通して光緒帝に西洋式の学校の設立を建議し、天津北洋西学学堂が設立された。これは現在の天津大学の前身である。また光緒22年(1896年)には鉄道事業を開始して、上海に南洋公学を創設した。これは現在の上海交通大学の前身である。同年、上海に中国通商銀行を開いた。光緒24年(1898年)に萍鄉煤砿を創設、これは後に漢陽鉄廠・大冶鉄砿と合併し中国初の製鉄コンビナートの漢冶萍煤鉄廠砿公司(漢冶萍公司)となった。

光緒26年(1900年)、義和団の乱がおこり清の朝廷が列強に宣戦を布告した際に、李鴻章・張之洞劉坤一ら地方の総督は列強と「東南互保」協定を結んで中央の命令を無視したが、盛宣懐がこの取りまとめにあたった。光緒31年(1905年)、中国紅十字会(赤十字社)を創設した。

光緒33年(1907年)、北京に召し出されて郵伝部右侍郎に任命された。宣統2年(1910年)、袁世凱が罷免されると代わりに重用され、翌3年(1911年)には郵伝部大臣に任命された。盛宣懐は鉄道国有化を行おうとしたが、四川省・広東省・湖北省・湖南省で保路運動がおこり、同年10月10日武昌起義を招くこととなった。盛宣懐の鉄道国有化政策が動乱を招いたとして、罷免されて日本へ亡命した。

中華民国成立後は上海に戻り、輪船招商局と漢冶萍煤鉄廠砿公司の事業を継続した。

先代:
唐紹儀
郵伝部尚書
1910年 - 1911年
次代:
(郵伝部大臣と改称)
先代:
-
郵伝部大臣
1911年
次代:
唐紹怡