白井岳 (馬術選手)

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白井 岳(しらい たけし、1977年4月15日[1] -)は、日本馬術選手、牧場経営者(株式会社白井牧場社長)。

経歴[編集]

馬術競技選手出身で白井牧場の創業者となった父・白井民平の長男として、北海道門別町に生まれた[2][3]1980年、初めてポニーに騎乗し、以降、馬術を続ける[1]門別町立富川中学校卒業後[4]、17歳で馬術留学のために渡仏した[2]

1996年アトランタオリンピックでは、馬術競技の日本代表として歴代最年少の19歳で障害飛越個人に出場した(結果は前半38位で後半に進めなかった)[5]

シドニーオリンピックが開催された2000年5月1日には、国際馬術連盟公認A大会のひとつモブージュ国際障害飛越大会の個人大障害で優勝し、日本人で初めてA大会の大障害での優勝を果たした[6]。さらに、5月26日にローマで開催された国際障害飛越競技会では、日本チームの一員として障害飛越団体で3位に入賞し、欧州の主要な国際大会で日本人としてはじめて表彰台に上がった[7]。しかし、9月に行われたオリンピックでは、障害飛越団体で11位、障害飛越個人で37位にとどまった[8]

その後もノルマンディー厩舎に所属して欧州各地の競技大会に年間40試合ほど出場し[2]2001年には、ベチュン市長杯[2]、ル・マン国内馬術大会[9]において障害飛越で優勝するなどの活躍をした。

競技者としての全盛期の身長は168センチメートル、体重は60キログラムであった[4]

2004年に父が死去したあと[10]、白井牧場の経営を引き継ぎ、2011年に牧場を法人組織に移行して株式会社白井牧場社長となった[11]

その後も2018年に福井国体に出場するなど、競技を続けている[12]

出典・脚注[編集]

  1. ^ a b 2010 Talk in Hokkaido vol .1”. Uman.jp (2010年12月7日). 2011年11月25日閲覧。
  2. ^ a b c d “馬術の本場・仏で優勝 市長杯で門別町の白井騎手”. 朝日新聞(北海道) (朝日新聞社): p. 北海道2. (2001年6月21日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  3. ^ 白井岳からみた白井新平は祖父、白井透は伯父である。
  4. ^ a b “馬術 日本選手団の顔ぶれ シドニー五輪特集”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 43. (2000年9月7日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  5. ^ 美土路昭一 (1996年8月5日). “キルヒホフ完ぺき、障害飛越個人制す 馬術 アトランタ五輪”. 朝日新聞(夕刊) (朝日新聞社): p. 9  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  6. ^ “馬術 モブージュ国際障害飛越1日 白井が日本人初優勝”. 読売新聞 (読売新聞社): p. スポーツC(21). (2000年5月3日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  7. ^ 共同通信 (2000年5月28日). “日本、障害飛越団体で3位 ローマで馬術の国際障害飛越競技会”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 18  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧。
  8. ^ “シドニー五輪記録一覧/馬術”. 読売新聞 (読売新聞社): p. 特集B(26). (2000年10月3日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  9. ^ “ル・マン馬術大会で留学中の白井が優勝”. 読売新聞(北海道) (読売新聞社): p. 北海道社会B(30). (2001年11月19日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  10. ^ “白井民平さん死去 ケンタッキーファーム創業”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 29. (2004年5月27日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  11. ^ 会社概要”. 株式会社白井牧場. 2011年11月25日閲覧。
  12. ^ 馬術白井岳は今も現役 史上最年少19歳で五輪出場 - スポーツ : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2021年1月28日閲覧。

外部リンク[編集]