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生駒万治

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生駒万治

生駒 万治(いこま まんじ、慶応3年1月8日[1]1867年2月12日) - 昭和12年(1937年5月19日[2])は、日本教育者文部官僚

経歴

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三重県出身。1888年(明治21年)、三重県尋常師範学校を卒業し、河芸郡高等小学校訓導となった[3]。その後、高等師範学校理化学科で数学を専攻し、1892年(明治25年)に卒業した[1][3]。同年、高等師範学校助教諭に任命され、教諭に進んだ[1]1898年(明治31年)からドイツに留学し、ベルリン大学シュトラスブルク大学で数学と数学教授法を学んだ[1]。帰国後、高等師範学校教授となった[1]1913年大正2年)、文部省督学官に転じ、その後佐賀高等学校校長を務めた[3]

著書

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  • 『新編算術』(博文館、1894年)
  • 『新編物理学』(博文館、1894年)
  • 『新編化学』(博文館、1895年)
  • 『新主義ヲ加味セル 幾何学教授法及其実際』(教育研究会、1918年) 武田登三と共著

脚注

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  1. ^ a b c d e 人事興信録 1918.
  2. ^ 『官報』第3115号、昭和12年5月25日。
  3. ^ a b c 人事興信録 1928.

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。