環首刀

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前漢の環首刀(腐朽が激しい)
の環首刀

環首刀(かんしゅとう)は、古代から中世までの中国にて用いられた武器の一つである。

名称[編集]

「環首」とは、上図のように刀柄の末端に付けられた鉄の環である。後述の通り初期は主に騎兵に用いられたゆえ、戦闘時に力のあまりで手から振り落とされることを防ぐため、しばしば環を縄で手首に繋いで固定していたとされている[1]

歴史[編集]

中国において鉄製戦国時代に生まれたとされ、前漢に入ってそれまでのとともに軍の主力装備として活躍し、後漢末期まで剣に完全に取って代わり短兵器のポストを独占したとされる[2][1]。馬上からの斬撃に適したため主に騎兵に用いられ、李陵もその愛用者の一人であったと言われている[3]

五代十国以降、重装騎兵打撃兵器の勃興によって廃れていった。

後世の刀への影響[編集]

日本刀との関係[編集]

古墳時代の日本刀。メトロポリタン美術館所蔵。

弥生時代の後期中葉から、西日本を中心に墳丘墓などの遺跡から茎(なかご)の尻に鉄製の環が付く「素環頭大刀(そかんとうのたち)」が出土している[4]

三国時代から南北朝時代にかけて戦乱や密貿易などにより、大陸から職人や環首刀実物が日本に流入し、環首刀に用いられた鋳造技術などが模倣・伝授され、後の日本刀祖型が形作られたと考えられている[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 《中國古代兵器論叢》,123頁
  2. ^ 陸錫興 (2013年). “論漢代的環首刀”. 南方文物. 
  3. ^ 《漢書》卷五十四:昭帝立,大將軍霍光、左將軍上官桀輔政,素與陵善,遣陵故人隴西任立政等三人俱至匈奴招陵。立政等至,單于置酒賜漢使者,李陵、衛律皆侍坐。立政等見陵,未得私語,即目視陵,而數之自循其刀環,握其足,陰諭之,言可還歸漢也。
  4. ^ 会下 2007, p. 26.

関連項目[編集]

参考文献[編集]