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  • 藤原氏のサムネイル
    また公家の他に、北家の藤原道兼の子孫の宇都宮氏流や、同じく北家の藤原長家の子孫の那須氏流、同じく北家の藤原房前の子・藤原魚名の子孫の藤原利仁、藤原秀郷からは多くの武家も輩出した。 藤原氏系図(藤原四家成立まで) 藤原氏系図 実線は実子。   藤原氏諸家略系図…
    33キロバイト (3,512 語) - 2024年5月24日 (金) 07:11
  • 藤原道信のサムネイル
    藤原(ふじわら の みちのぶ)は、平安時代中期の貴族・歌人。藤原北家、太政大臣・藤原為光の三男。官位は従四位上・左近衛中将。中古三十六歌仙の一人。 一条朝初頭の寛和2年(986年)摂政になったばかりの伯父・藤原兼家の養子として淑景舎にて元服して、従五位上に直叙され、同年侍従に任ぜられる。寛和3…
    4キロバイト (480 語) - 2022年12月4日 (日) 14:42
  • 奥州藤原氏のサムネイル
    奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)は、前九年合戦・後三年合戦の後の寛治元年(1087年)から源頼朝に滅ぼされる文治5年(1189年)までの間に陸奥(後の陸中国)平泉を中心として出羽を含む奥羽地方(現在の東北地方)一帯に勢力を張った藤原北家の支流の豪族。藤原北家秀郷流一族。平泉藤原
    22キロバイト (3,362 語) - 2024年5月14日 (火) 00:19
  • 新田部親王王女 藤原辛加知(?-764) 妻:紀奈賀岐娘 - 紀麻呂女 生母不明の子女 藤原小湯麻呂(?-764) 藤原薩雄 - 刷雄と同一人物説もあるが、経歴や子孫は明確に異なる。 藤原執棹(?-764) 次女:藤原東子(?-?) 三女:藤原額 岸俊男『藤原仲麻呂』 吉川弘文館、1969年 木本好藤原
    23キロバイト (3,757 語) - 2024年5月16日 (木) 08:36
  • 藤原北家のサムネイル
    藤原北家(ふじわらほっけ)とは、右大臣藤原不比等の次男藤原房前を祖とする家系。藤原四家の一つ。藤原房前の邸宅が、藤原南家の祖である兄の藤原武智麻呂の邸宅よりも北に位置したことがこの名の由来。 藤原北家は、藤原四家の中では最も遅い時期に興隆し、その結果として、藤原四家の中では最も栄えることになった。…
    57キロバイト (1,873 語) - 2024年7月9日 (火) 04:52
  • 藤原 さくら(ふじわら さくら、1995年12月30日 - )は、日本のシンガーソングライター、俳優。所属事務所はアミューズ、所属レコードレーベルは自主レーベルの「Tiny Jungle Records」。公式ファンクラブは「Meating」。 2024年6月から、耳と喉の不調のためライブ活動を休止中。…
    142キロバイト (13,255 語) - 2024年7月17日 (水) 03:41
  • 藤原秀郷のサムネイル
    藤原 秀郷(ふじわら の ひでさと、旧字体:藤󠄁原 秀鄕)は、平安時代中期の貴族、豪族、武将。下野大掾・藤原村雄の子。別名は、俵(田原)藤太。 下野掾であったが、平将門追討の功により従四位下に昇り、下野・武蔵二ヶ国の国司と鎮守府将軍に叙せられ、勢力を拡大。源氏・平氏と並ぶ武家の棟梁として多くの家系を輩出し、近代に正二位を追贈された。…
    36キロバイト (4,722 語) - 2024年7月11日 (木) 01:38
  • 尋を名乗り継がせ、自身の娘(母は家女房)を娶らせた。 尹は、先祖である藤原道長が記した『御堂関白記』寛弘5年12月20日(1009年1月18日)条の裏に、『後深心院関白記』(『愚管記』とも)を抜書し、自筆本のうちの5巻分を折状の状態にしている。この抜書を発見し、表紙の外題に、「裏
    10キロバイト (1,543 語) - 2023年12月28日 (木) 03:17
  • 寛治5年(1091年):藤原清衡より摂関家に初入貢(軍馬2蹄)。 寛治8年(1094年)3月8日:関白を辞す。後任は子の師通。 康和3年(1101年) 1月29日:出家。法名は法覚。 2月13日:薨去。享年60。 父:藤原頼通 母:藤原祇子 - 藤原頼成娘 妻:源麗子 - 藤原家養女、実は源師房娘 男子:藤原師通(1062-1099)…
    13キロバイト (1,866 語) - 2024年2月21日 (水) 18:01
  • 藤原教通のサムネイル
    藤原行成、藤原隆家を越えて権大納言に叙任されるなど、若年にして急速な昇進を果たす。寛仁5年(1021年)左大臣・藤原顕光が没して大臣の座が2つ空き、筆頭大納言の藤原実資が右大臣に昇任したと同時に、教通は寛弘の四納言として知られ長く朝廷で活躍していた大納言・藤原と権大納言・藤原
    14キロバイト (2,109 語) - 2024年7月11日 (木) 09:40
  • 藤原忠通のサムネイル
    藤原 忠通(ふじわら の ただみち)は、平安時代後期から末期にかけての公卿・歌人。藤原北家、関白・藤原忠実の次男。官位は従一位・摂政 関白・太政大臣。通称は法性寺関白(ほっしょうじ かんぱく)。小倉百人一首では法性寺入道前関白太政大臣。 康和5年(1103年)、大江匡房の名付により「忠通」と称する…
    24キロバイト (3,819 語) - 2024年6月1日 (土) 09:32
  • 紫式部のサムネイル
    紫式部 (藤原則子からのリダイレクト)
    中古三十六歌仙』『女房三十六歌仙』『百人一首』に選ばれている。 ポータル 文学 父は藤原北家良門流の越後守・藤原為時、母は摂津守・藤原の娘(藤原女)である。父方の曽祖父には三条右大臣・藤原定方や堤中納言・藤原兼輔があり、一族には文辞で聞こえた人が多い。父為時も漢詩人、歌人として活動した。…
    44キロバイト (6,430 語) - 2024年7月22日 (月) 01:35
  • 藤原実方のサムネイル
    ウィキクォートに藤原実方に関する引用句集があります。 藤原 実方(ふじわら の さねかた)は、平安時代中期の貴族・歌人。左大臣・藤原師尹の孫、侍従・藤原定時の子。官位は正四位下・左近衛中将。中古三十六歌仙の一人。 父・定時が早逝したため、叔父で大納言・藤原済時の養子となる。…
    12キロバイト (1,861 語) - 2024年7月11日 (木) 02:59
  • 藤原武智麻呂のサムネイル
    藤原 武智麻呂(ふじわら の むちまろ)は、飛鳥時代から奈良時代前期にかけての貴族。藤原不比等の長男。藤原南家の祖。官位は正一位・左大臣、贈太政大臣。 ウィキソースに武智麻呂伝の原文があります。 文武朝の大宝元年(701年)正六位上・内舎人に叙任されて官途に就く。大宝2年(702年)中判事に任官す…
    15キロバイト (2,343 語) - 2024年4月6日 (土) 00:43
  • 藤原義江のサムネイル
    ポータル クラシック音楽 藤原 義江(ふじわら よしえ、1898年(明治31年)12月5日 - 1976年(昭和51年)3月22日)は、日本の男性オペラ歌手、声楽家(テノール(テナー))。愛称は吾等のテナー(われら-)。 太平洋戦争の戦前から戦後にかけて活躍した世界的オペラ歌手。藤原
    30キロバイト (2,981 語) - 2024年7月3日 (水) 07:15
  • 藤原忠平のサムネイル
    『日本紀略・本朝文粋』 ^ 『貞公記・大鏡裏書』 ^ a b 『貞公記』 ^ 『西宮記』 ^ 『日本紀略』 黒木香「道真の怨霊と藤原師輔」『国文学攷』、広島大学国語国文学会、1985年。  ポータル 文学 ウィキクォートに藤原忠平に関する引用句集があります。 ウィキメディア・コモンズには、藤原忠平に関連するカテゴリがあります。…
    16キロバイト (1,647 語) - 2024年5月4日 (土) 01:33
  • 藤原実頼のサムネイル
    藤原 実頼(ふじわら の さねより)は、平安時代前期から中期にかけての公卿・歌人。 関白・藤原忠平の長男。藤原北家の嫡流として、藤氏長者となり、村上天皇の天暦の治を支えたが、外戚となることができず、嫡流は弟・師輔の子孫(九条流)へと伝えられた。ただし、若くして没した師輔の代理の形ではあるが、関白、次いで摂政に就任している。…
    23キロバイト (2,913 語) - 2024年2月5日 (月) 11:18
  • 『公卿補任』正元元年(1259年)に大炊御門信嗣が従三位に叙せられた時の記事、および『尊卑分脈』大炊御門信嗣の項では筑前守・藤原長宗の女が嗣の母とあるが、『尊卑分脈』中院通成の項では通成の女が大炊御門太相母とある。藤原長宗の女を中院通成の養女にした可能性もある。中院通成は緒家に女を嫁がせており、西園寺実兼に嫁した従一位…
    8キロバイト (1,301 語) - 2022年12月11日 (日) 04:56
  • 藤原竜也のサムネイル
    藤原 竜也(ふじわら たつや、1982年〈昭和57年〉5月15日 - )は、日本の俳優・タレント。埼玉県秩父市出身。ホリプロ所属。 1997年、蜷川幸雄演出の舞台『身毒丸』主役オーディションでグランプリを獲得し、俳優デビューする。バービカン・センター(ロンドン)での公演にて、「15歳で初舞台とは思え…
    64キロバイト (8,327 語) - 2024年7月19日 (金) 00:21
  • 家の名跡を継いで、これを再興させた。諱の「」の字は信長から偏諱を受けたものと考えられている。二条家は元々武家と距離が近く、先の足利将軍家や後の徳川将軍家とも密接であり、房の次兄の二条昭実は天正3年(1575年)に信長の養女を娶っている。この縁もあり、房を擁して鷹司家を再興する流れになったと考…
    7キロバイト (1,052 語) - 2023年2月24日 (金) 14:41
  • 藤原朝臣 くちなしのそのにやわか身入りにけんおもふことをもいはてやみぬる くちなしの-そのにやわかみ-いりにけむ-おもふことをも-いはてやみぬる 00550 [詞書]中将道朝臣みまかりにけるを、おくりをさめての朝によめる 藤原頼孝 おもひかねきのふのそらをなかむれはそれかとみゆる雲たにもなし
  • 在原業平朝臣札 藤原敏行朝臣札(弓持ち版) 壬生忠岑札 参議等札 壬生忠見札(弓無し版) 藤原朝臣札 藤原基俊札 弓を持っている人物を武官札(または弓持ち札)と呼ぶことがあります。該当するのは、参議篁、在原業平朝臣、藤原敏行朝臣、壬生忠岑、参議等、壬生忠見、藤原朝臣、藤原
  • 藤原(ふじわら の みちのぶ、972年‐994年)は、平安時代中期の公家・歌人。太政大臣藤原為光の三男。中古三十六歌仙の一人。 明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな 『後拾遺和歌集』収録。藤原定家の『小倉百人一首』にも収録。 うれしきはいかばりかは覚ゆらむ憂きは身にしむここちこそすれ
  • おとど 【大殿, 大臣】 貴人の邸宅。 貴人や貴婦人に対する敬称。 ただし、おのれは、故太政のおとど貞公、蔵人の少将と申しし折の小舎人童の大犬丸ぞかし。(大鏡・序) ただ、私は、故太政大臣貞公(藤原忠平)が、蔵人の少将と申し上げた頃の小舎人であった大犬丸なのですよ。 熟語: 左大臣(ひだりのおとど)
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