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  • 日本相撲協会のサムネイル
    相撲道の指導・普及、相撲記録の保存及び活用、国際親善を行うと共に、これらに必要な施設を維持、管理運営し、もって相撲文化の振興と国民の心身の向上に寄与することを目的とする。」との定めがある。この建前に基づき、青少年・学生への相撲の指導奨励、相撲教習所の維持運営、国技館の維持運営、相撲
    187キロバイト (24,540 語) - 2024年6月23日 (日) 01:31
  • 相撲 > 大相撲力士一覧 大相撲力士一覧(おおずもうりきしいちらん)は、大相撲の前頭以下の力士一覧。横綱は横綱一覧、大関は大関一覧、関脇は関脇一覧、小結は小結一覧を参照(在籍時の最高位)。 太字は1909年(明治42年)6月場所以降に幕内最高優勝を経験した力士、もしくはそれ以前に全勝を達成した力士。…
    38キロバイト (5,018 語) - 2024年6月28日 (金) 16:55
  • 呼出 (戸口貞次郎からのリダイレクト)
    次郎と19人が掲載されている。 1911年発行の「相撲鑑」には勘太郎を筆頭に25名いて給金は僅少だが錦絵や番付等を売って余禄とするとある。 昭和初期までは呼出し奴と言われていた。1932年では呼出し頭の長尾貞次郎を筆頭に40人ほどであった。 相撲雑誌の名鑑等にも昭和40年代まで掲載されなかった。…
    32キロバイト (4,497 語) - 2024年6月1日 (土) 04:38
  • 1892年)、相撲常(相撲の常吉、1828年 - 1912年)、大野の鶴吉、吉良の仁吉(太田仁吉、1839年 - 1866年)、神戸の長吉(初芝才次郎、1814年 - 1880年)らは、実在の人物であるが、追分三五郞らは架空の人物であるといわれている。 初出以来の国立国会図書館蔵書等による一覧である。 『次郎長三国志』 :…
    46キロバイト (7,132 語) - 2024年4月29日 (月) 14:46
  • < 1969年 | 1969年のスポーツ 1969年の相撲(1969ねんのすもう)は、1969年の相撲関係のできごとについて述べる。 1月、酒井忠正が病気で横綱審議委員会委員長を辞任し、後任に舟橋聖一が就任、相撲博物館館長に石井鶴三就任。 2月、錦島(元大関豊山)が時津風に名跡を変更し、鏡里は立田川に戻る。大鵬が豪州政府招待で渡豪。…
    9キロバイト (1,441 語) - 2024年4月11日 (木) 01:32
  • 1956年の相撲(1956ねんのすもう)は、1956年の相撲関係の出来事について述べる。 全日本相撲選手権大会で平聖一が史上初の連覇を果たす。 1月、初場所、蔵前国技館で15日間。前相撲が復活。協会役員改選で時津風が理事長代理となり、立浪が新理事となる。蔵前国技館でオリンピック選手派遣費募集大相撲。…
    7キロバイト (991 語) - 2024年5月21日 (火) 12:41
  • 従来通りに次郎長を人情深い親分として描いている反面、単なる勧善懲悪時代劇にせず、次郎長がヤクザの世界に入り、黒駒勝蔵との雌雄を決する戦いまでを次郎長を一人の人間として描いているのが本作品の特徴。 次郎長:中村雅俊 長五郎(次郎長の青年時代):忍成修吾 長五郎(次郎長の少年時代):小清水一揮 お蝶 / はな:田中美里 大政:草刈正雄…
    5キロバイト (414 語) - 2021年6月27日 (日) 06:23
  • 1943年の相撲(1943ねんのすもう)は、1943年の相撲関係のできごとについて述べる。 1942年-1943年-1944年 1月、新横綱・安藝ノ海、照國が誕生(同時昇進)。新大関・名寄岩誕生。 1月場所 幕内最高優勝:双葉山定次(双葉山相撲道場) - 15戦全勝(3場所連続11回目) 5月場所…
    7キロバイト (964 語) - 2024年3月11日 (月) 08:19
  • 浅沼稲次郎のサムネイル
    医者になれという父の勧めを蹴り、大正7年(1918年)に早稲田大学予科に入学する。このことから父とはしばらく絶縁状態となり、稲次郎は友人の経営する文房具会社に参加して万年筆製作で糊口を凌いだという。早大在学中には雄弁会と恵まれた体格を活かして相撲部に在籍した。さらに漕艇部にも所属してレースにも出場し、大隈重信に体格の良さを褒められたと語っている。…
    31キロバイト (4,327 語) - 2024年6月24日 (月) 22:20
  • 2023年の相撲(2023ねんのすもう)では、2023年(令和5年)の相撲関連の出来事についてまとめる。 2022年-2023年-2024年 4日 - 【大相撲】日本相撲協会は、井筒(元関脇・豊ノ島)の退職を発表した。 14日 - 【大相撲】元関脇・隠岐の海が現役を引退し、年寄「君ヶ濱」を襲名した。…
    79キロバイト (8,849 語) - 2024年6月11日 (火) 09:03
  • < 1960年 | 1960年のスポーツ 1960年の相撲(1960ねんのすもう)は、1960年の相撲関係のできごとについて述べる。 1月、初場所、蔵前国技館で15日間。大鵬が新入幕し初日から11連勝、12日目に小結柏戸に敗れる。元大関三根山引退、熊ヶ谷襲名。この場所の番付から若者頭、世話人、呼出の…
    9キロバイト (1,366 語) - 2024年4月5日 (金) 08:12
  • (はしご高))が含まれています(詳細)。 優勝決定戦(ゆうしょうけっていせん)は、大相撲において、各地位での最高成績者が複数出た場合に、優勝者を決めるための本割以外の取組である。 元来、大相撲(および前身の勧進相撲)では、成績優秀者を公式に表彰する制度は存在しなかったが、1909年(明治42年)6…
    31キロバイト (3,017 語) - 2024年3月19日 (火) 19:48
  • 男女ノ川登三のサムネイル
    男女ノ川登三 (朝潮供次郎からのリダイレクト)
    相撲力士。第34代横綱。本名は坂田 供次郎(さかた ともじろう(きょうじろう))。 1903年9月17日に茨城県筑波郡菅間村(現在のつくば市磯部)で農家を営む一家に三男として生まれる。元々は屋根の修理屋で働いていたが、ある時修理中の屋根を踏み抜いてしまい、その力の強さに驚いた周囲の勧めで地元の相撲
    22キロバイト (3,078 語) - 2024年4月6日 (土) 12:44
  • 春秋園事件のサムネイル
    春秋園事件 (相撲昭和7年1月場所からのリダイレクト)
    春秋園事件(しゅんじゅうえんじけん)は、1932(昭和7)年1月6日に発生した力士の争議事件である。32人の力士が大日本相撲協会に対して体質改善を要求してストライキに入ったが、交渉は決裂し、当該力士らは協会から離脱し独立団体を結成した。 事件名の由来は、東京府荏原郡大井町(現:東京都品川区大井)の中…
    31キロバイト (3,842 語) - 2024年5月15日 (水) 05:45
  • 相撲優勝力士一覧(おおずもうゆうしょうりきしいちらん)とは現在成績と番付がたどれる江戸時代からの江戸相撲本場所の幕内最高成績力士の一覧である。 大相撲の幕内最高優勝については、大きく3期に分けることができる。 まず、勧進相撲の中から自然発生的に始まった江戸時代から明治時代に至るまでは、いかなる形で…
    125キロバイト (630 語) - 2024年5月26日 (日) 09:02
  • 1月場所(東京相撲) 興行場所:両国国技館 1月10日より10日間興行 西方勝利。旗手は近江富士初次郎。個人優勝は太刀山峰右エ門。 5月場所(東京相撲) 興行場所:両国国技館 5月17日より10日間興行 96対86で東方勝利。旗手は千年川亀之助。個人優勝は太刀山峰右エ門。 5月場所(大阪相撲) 興行場所:難波新川土橋西詰…
    4キロバイト (635 語) - 2024年3月10日 (日) 00:01
  • 7月13日 - 森悌次郎、体育学者・大学教授・サッカー選手(* 1896年) 7月14日 - 坂本繁二郎、洋画家(* 1882年) 7月14日 - 富永次郎、美術評論家(* 1909年) 7月14日 - 鈴木正久、日本基督教団の牧師(* 1912年) 7月14日 - 綾曻竹藏、元大相撲力士(* 1908年)…
    88キロバイト (11,422 語) - 2024年6月22日 (土) 17:56
  • 両国国技館のサムネイル
    両国国技館 (カテゴリ 大相撲本場所の開催会場)
    相撲の興行のための施設。公益財団法人日本相撲協会が所有している。 プロレス、ボクシングなどの格闘技の興行会場、その他のスポーツ競技の会場、ポピュラー音楽のライブでも使用される。クラシック音楽のコンサートが開かれた事例もある。 なお「両国国技館」という呼称は日本相撲
    56キロバイト (8,510 語) - 2024年5月13日 (月) 16:22
  • 前頭(まえがしら)とは、大相撲の力士の地位の一つ。幕内力士のうち、横綱と三役(大関・関脇・小結)を除いた力士をさす。役についていない幕内力士という意味で、平幕(ひらまく)と呼ばれることもある。 江戸時代の前相撲の「頭」が語源であるため、正確には「役力士」と「前相撲
    21キロバイト (2,054 語) - 2024年5月19日 (日) 12:43
  • ジョン万次郎のサムネイル
    ジョン万次郎(ジョン まんじろう、旧字体:ジョン萬次󠄁郞、英語:John Manjirō、1827年1月27日〈文政10年1月1日〉 - 1898年〈明治31年〉11月12日)は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけての日本の旗本・翻訳家・教育家である。アメリカ合衆国を訪れた最初の日本人の一人であり…
    41キロバイト (5,807 語) - 2024年6月19日 (水) 06:58
  • 常楽寺ニテ相撲之事】元亀元庚午 二月廿五日 御上洛赤坂御泊廿六日常楽寺迄御出被成御逗留 三月三日に江州国中之相撲取を被召寄常楽寺にて相撲をとらせ御覧候 人数之事 百済寺(はくさいじ)ノ鹿(しか) 百済寺之小鹿 たいとう正権 長光 宮居眼左衛門 河原寺ノ大進(たいしん) はし小僧(こぞう)深尾又次郎
  • 物事が明らかになった時、それを当然帰結すべきものであったと考え納得するさまを表す。 あの母さんの時代も、そんなに遠い過去になった。それもそのはずである。太郎や次郎はもとより、三郎までもめきめきとおとなびて来て、縞の荒い飛白の筒袖なぞは着せて置かれなくなったくらいであるから。 (島崎藤村 『分配』)
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