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  • 和名類聚抄のサムネイル
    調度部=日用品 羽族部=鳥 毛群部=獣一般 牛馬部=牛・馬 龍魚部=竜族、および魚類 龜貝部=亀類・海棲動物 蟲豸部=虫類 稻穀部=稲・穀物 菜蔬部=野菜 果蓏部=果物 草木部=草木 十巻本に比べ、部の分割・統合・付加、名称や配列の異同があり、32部249より成っている。…
    13キロバイト (1,624 語) - 2024年3月11日 (月) 13:13
  • 猿まわしのサムネイル
    猿まわし (カテゴリ 付)
    の者、幕府へは尾張、三河、遠江の者と決まっていた。 猿まわしの本来の職掌は、牛馬舎とくに厩(うまや)の祈祷にあった。猿は馬や牛の病気を祓い、健康を守る力をもつとする信仰・思想があり、そのために猿まわしは猿を連れあるき、牛馬舎の前で舞わせたのである。大道や広場、各家の軒先で猿に芸をさせ、見物料を取ることは、そこから派生した芸能であった。…
    12キロバイト (1,773 語) - 2024年3月28日 (木) 16:34
  • 貞享2年7月14日、将軍の御成の際に、犬や猫をつなぐ必要はないという法令。2005年頃からは最も支持されている。 貞享4年(1687年)、病気の牛馬を捨てることを禁じた法令。この法令が初発であるという説が長い間定説化していた。 少数ではあるが、徳川家綱時代から生類憐れみ政策が行われていたという見解も存在する。…
    49キロバイト (8,554 語) - 2024年7月4日 (木) 14:53
  • 庄原市のサムネイル
    あり、今なお、先祖代々、各社を守り、各住民はその血を受け継いる。また、比婆荒神神楽や比婆斎庭神楽としても残っている。また、古くから牛馬を農耕に用いていたこともあり、牛馬を祀る大仙信仰も特徴である。これらの信仰は古くから代々受け継がれており、今なお伝承されている。 いとしのヒナゴン 君のいる町…
    50キロバイト (2,797 語) - 2024年4月29日 (月) 01:23
  • 助。初名は頼融、直矢。寛政4年(1792年)10月27日に田辺藩11代藩主・安藤次猷の養子となる。 享和元年(1801年)5月9日、次猷が隠居したためその跡を継ぐ。藩政改革のため、養蚕御用所の設置、田辺城下の戸数、牛馬の調査などを行った。…
    3キロバイト (239 語) - 2024年1月24日 (水) 19:51
  • 海軍兵学校 (日本)のサムネイル
    b 雨倉 2007, pp. 14–17, スノッティー ^ 雨倉 2007, pp. 20–24, 下士官 兵 牛馬 候補生 ^ 小泉 2009, pp. 28–31, 第一章 狭き - 三 ^ 米海軍兵学校学生来校 - 防衛大学校 ^ 在日米海軍司令部 [@CNFJ] (2023年2月8日).…
    37キロバイト (5,597 語) - 2024年7月10日 (水) 11:18
  • の非人頭の中でも特に有力なのが浅草非人頭・車善七だった。 非人の形成期には、検非違使管轄下で「囚人の世話・死刑囚の処刑・罪人宅の破却・死者の埋葬・死牛馬の処理・街路の清掃・井戸掘り・造園・街の警備」などに排他的特権的に従事した。また悲田院や非人宿に収容されたことから、病者や障害者の世話といった仕事も…
    18キロバイト (2,805 語) - 2024年6月13日 (木) 11:05
  • 吉備津彦神社のサムネイル
    祭神:倉稲魂命、素盞嗚尊、伊弉諾命。例祭:3月11日。 卜方神社(うらかたじんじゃ) - 例祭:5月25日。 温羅神社(うらじんじゃ) - 祭神:温羅属鬼和魂(大吉備津彦命に討たれた鬼・温羅の和魂)。 祖霊社 牛馬神社 - 祭神:保食神。例祭:8月24日。 十柱神社(とはしらじんじゃ) - 祭神:吉備海部直祖など10柱。例祭:9月24日。…
    24キロバイト (3,321 語) - 2024年5月4日 (土) 00:16
  • 薩摩藩のサムネイル
    (薩摩藩村落の図式) 割とは、藩の検地事業の結果によって、耕地の割換えと農民の所属配置換えを同時に行い、農村秩序(支配秩序)を再編成することである。検地によって「毎の耕地面積及び等級」、農民の「年齢」「性別」「身分」「健康状態」「牛馬数」等を調査し、その結果に基づいて
    89キロバイト (8,576 語) - 2024年5月5日 (日) 14:09
  • 華厳滝のサムネイル
    牛馬禁制であったことに由来している(詳細は「いろは坂」を参照)。 日光駅・東武日光駅から東武バス日光「中禅寺温泉駅」下車 徒歩5分。 1903年(明治36年)5月22日、一高生の藤村操がこの滝の付近にある樫の木を削り、「巌頭
    14キロバイト (1,992 語) - 2024年7月9日 (火) 14:11
  • 『元史』巻2太宗本紀「七年……冬十月、曲出囲棗陽、抜、遂徇襄・鄧、入郢、虜人民牛馬数万而還」 ^ 『元史』巻189儒学1「趙復、字仁甫、徳安人也。太宗乙未歳,命太子闊出帥師伐宋、徳安以嘗逆戦、其民数十万、皆俘戮無遺。進楊惟中行中書省軍前、姚枢奉詔即軍中求儒・道・釈・医・卜士、凡儒生掛俘籍者、輒脱以帰、復在其中」 ^…
    9キロバイト (1,484 語) - 2022年11月23日 (水) 08:48
  • おとろしのサムネイル
    8m)、8畳ほどの大きさで、口の広さは1丈1尺(≒3.3m)。豊前国の奈良林という村(現在の福岡県飯塚市綱分字奈良林か)に現れ、牛馬をすべてひと呑みに食ってしまった。山狩りの末、岩穴に潜んでいたところを竹槍でしとめられたという。 [脚注の使い方] ^ a b c d e 多田 2000…
    9キロバイト (1,247 語) - 2022年6月22日 (水) 10:59
  • ロシア軍艦対馬占領事件のサムネイル
    使をポサドニック号に派遣し、その不法を何度か詰問した。しかしロシア側は無回答を貫き、優勢な武力をもって日本側を脅かしたり、住民を懐柔したりし、木材・牛馬・食糧・薪炭を強奪または買収して滞留の準備を整えた。またロシア水兵は短艇を操って沿岸を測量し、山野を歩き回って野獣を捕獲したり、中には婦女を追跡して…
    11キロバイト (1,712 語) - 2024年5月15日 (水) 09:28
  • 夫余のサムネイル
    その罪により死刑にされると、死骸は国の南の山上にさらされ、腐爛するまで放置される。死骸が腐爛したのち、その婦人の家人がその死骸を引き取りたいと望んで牛馬を連れていけば、死骸を与える。 兄が死んだ場合、兄嫁を弟が妻とする。これは匈奴と同じ習俗(レビラト婚)である。…
    22キロバイト (3,590 語) - 2023年11月8日 (水) 13:47
  • ・人口396である。1935年、冨士見町2丁目となった。 『西伯資力 大正11年10月調』によると幸町の亀本清太郎の所有地価金は224円35銭、所得税は田村歳蔵が15円、益田萬五郎が6円10銭、澤田千松が5円30銭、田村松太郎(牛馬、皮骨)が4円60銭、国税営業税は松尾大蔵(牛豚肉)が30円25…
    8キロバイト (1,091 語) - 2024年5月12日 (日) 05:59
  • 八重山神社のサムネイル
    八重山神社(やえやまじんじゃ)は、島根県雲南市にある神社である。須佐男命の伝説があり、牛馬の守護神として崇敬される。 伊邪那美命 天照大神 速玉男命 予母津事解男命 神大市比売命 大山祇神 大歳御祖神 社伝によると、神代、健速須男命が簸の川で八股蛇を退治した後、「鷲尾の猛」という魔神が八重山の…
    6キロバイト (722 語) - 2023年11月7日 (火) 14:29
  • 『史記』匈奴列伝に「而晋北有林胡、楼煩戎,燕北有東胡、山戎。各分散居谿谷,自有君長,往往而聚者百有餘戎,然莫能相一」という。 ^ 『戦国策』巻12斉策5に「むかし斉と燕が桓水の褶曲部で戦った。燕は勝利できず、10万の兵を失った。胡人が燕の楼煩数邑を襲い、その牛馬を取った」という。その註に「楼煩は雁郡に属した」とある。…
    4キロバイト (764 語) - 2022年1月29日 (土) 04:56
  • 寛文近江・若狭地震のサムネイル
    022軒潰れ、死人38人、牛馬も多く死に、朽木谷(現・高島市)は特に激しい地震動に見舞われ家が潰れ出火により辺りが残らず焼失したと記されている。膳所や大津(現・大津市)も被害が多く、水口城でも、塀、御殿が破損した。 『落穂雑談一言集』には伏見で町屋320軒余…
    20キロバイト (2,715 語) - 2024年1月18日 (木) 10:42
  • 東明聖王のサムネイル
    避けても日光は追ってきて柳花を身篭らせ、やがて柳花は大きな卵を産んだ。 金蛙王は卵を犬や豚の傍に捨てさせるが、共にこれを食べなかった。路上へ捨てると牛馬がこれを避け、野原へ捨てると鳥が卵を抱いて守った。自ら割ろうとしても割れず、遂に母へ返した。柳花が暖め続けると卵が割れ、男の子が生まれた。それが朱蒙である。…
    23キロバイト (3,760 語) - 2024年6月24日 (月) 12:15
  • 江藤新平のサムネイル
    井上毅 「江藤司法卿、果決鋭為、一挙して進の勢あり、其の章程を作れる、日夕督責、十日にして案成り、四十日にして活版に付するに至る」。 大隈重信 「(江藤)を失ったる国家は更に甚大なる損害であり、不幸であった」 河野敏鎌 「江藤に対しては、何事を諭しても論破せられざることなし。議論を闘わすに於いては、到底これに勝つこと能はざるなり」…
    52キロバイト (8,572 語) - 2024年7月7日 (日) 08:31
  • 備㆒、而可㆑停㆓止無用他出㆒也。若至㆓于夜中㆒有㆓急用㆒則可㆓持㆑燭行㆒也。 一、或諠譁口論、或放㆓牛馬㆒、失㆑火而莫㆘驚㆓駭営中㆒及㆗敗亡㆖矣。 一、備是非不㆑顧㆓思慮㆒可㆓諫静㆒也。或不㆑知㆓其得失㆒、或雖㆑知㆑、黙而不㆑言、凶事出来之後、誹㆓上失㆒、益㆓己智㆒、此佞人也。語曰既往不㆑咎。
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