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  • 白井胤治 (白井入道浄三からのリダイレクト)
    白井 胤治(しらい たねはる、生没年不詳)は、戦国時代の武将、軍師。出家して浄三(じょうさん/じょうみ)と号したために、白井入道浄三という名でも知られている。 出自不明で、一説には利胤・親胤・胤富の千葉氏三代に仕えたとされる。別説では三好三人衆の三好長逸に軍師として雇われ、後に修行のため関東に下ったという。…
    5キロバイト (1,034 語) - 2024年5月22日 (水) 00:49
  • 日蓮のサムネイル
    ^ 御義口伝「戒定慧の学は寿量品の事の三大秘法是れなり」 ^ 法華取要抄「問うて云く、如来滅後二千余年、竜樹・天親・天台・伝教の残したまえる所の秘法は何物ぞや。答えて云く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」 ^ 曽谷入道殿許御書「大覚世尊以仏眼鑒知於末法 為令対治此逆謗二罪…
    123キロバイト (21,148 語) - 2024年6月22日 (土) 09:39
  • すでに親王宣下を受けている親王が出家(入道)した場合は入道親王と呼んで区別した。出家した親王に対しては、他にも法師親王(ほうししんのう)、禅師親王(ぜんじしんのう)などの呼称が存在している。 三条天皇の皇子師明親王が出家して以降は、入道親王(にゅうどうしんのう)という呼称が出家した親王に用いられるようになった。…
    7キロバイト (991 語) - 2023年4月26日 (水) 17:01
  • 長門国のサムネイル
    1252年(建長4年)~1276年(建治2年) - 二階堂行忠 (守護代 三井資平) 1276年(建治2年)~1279年(弘安2年) - 北条宗頼 (守護代 長井頼茂、岡田入道蓮) 1279年~1280年(弘安3年) - 北条兼時 1281年(弘安4年)~? - 北条師時 (守護代 駿河三郎、平内左衛門尉) 1282年(弘安5年)~…
    20キロバイト (2,807 語) - 2023年12月4日 (月) 04:58
  • 尊悟入道親王 増基 尊悟入道親王(還任) 尊珍法親王 顕弁 尊珍法親王(還任) 房朝 増覚 良慶 覚助(還任) 尊悟入道親王(任) 覚誉入道親王 長助入道親王 増仁 静深 道昭(還任) 増仁(還任) 長助入道親王(還任) 覚誉入道親王(還任) 長助入道親王(任) 仁誉法親王 良瑜 覚誉入道親王(任)…
    6キロバイト (867 語) - 2023年2月19日 (日) 09:01
  • 平清盛のサムネイル
    平清盛 (入道相国からのリダイレクト)
    入り伝へ聞く、禅門薨去す」という記述があり、閏2月1日には清盛は早くも重態となっている。 藤原定家の日記『明月記』では、「去る夜戌の時(午後8時)、入道前太政大臣已に薨ずるの由、所々より其の告げあり。或は云ふ、臨終動熱悶絶の由」という記述があり、その死に際して、この「動熱悶絶の由」という噂があったと記録されている。…
    70キロバイト (9,049 語) - 2024年7月5日 (金) 02:41
  • 真相は不明確。長男の信忠が暗愚だったのを知らなかったためとも、長親自身が1501年の時点ですでに入道していたためともいう。もっとも、その後も信忠・嫡孫清康の後見人として今川軍と戦っている。 隠退後、入道し道閲と号した長親は、なおも信忠を後見・補佐したが、信忠は力量乏しい上に一門衆・家臣団からの信望…
    8キロバイト (1,038 語) - 2024年2月29日 (木) 09:46
  • 伏見宮貞建親王のサムネイル
    - 真猷院 第二王女:豊子女王(康宮、1722-1727) - 明鏡院 家女房 第一王子:邦忠親王(阿古宮、1732-1759) - 16代伏見宮 第二王子:邦頼親王(孝宮、1733-1802) - 18代伏見宮 第三王子:尊英入道親王(修宮、1737-1752) - 広修院 第三王女:寿子女王(千代宮、1742-1790)…
    4キロバイト (445 語) - 2024年6月15日 (土) 15:24
  • そして3月20日、北条氏に与する千葉胤富の家臣・原胤貞の治める下総臼井城へ進攻、上杉勢が有利に戦闘を進め、実城の際まで迫ったが、胤貞より指揮を託された軍師・白井入道浄三の知謀や、この戦いでの活躍を赤鬼と畏怖されるようになる北条軍・松田康郷の武勇によって、情勢が変化(『北条記(相州兵乱記)』、『関八州古戦録』)。3…
    7キロバイト (1,070 語) - 2023年11月2日 (木) 23:00
  • 系統であるが、実際に土佐に住すのは子の前野豊成(山内豊成)の代からである。 父:前野時之 母:二宮長門入道一樂斎の娘 弟:前野泰衡 室:不詳 男子:前野豊成 男子:前野正泰 男子:五藤浄清(五藤為養嗣子、室五藤為重娘) 男子:前野正吉 ^ 『尾張国丹羽郡稲木庄前野村前野氏系図』 ^ 『武功夜話』巻二「甲子年木下藤吉郎宇留間責めの事」…
    4キロバイト (470 語) - 2023年8月8日 (火) 05:36
  • 織田信雄のサムネイル
    0代当主として信意(のぶおき/のぶもと)、次いで信勝(のぶかつ)とも名乗り、信雄は最後の改名による。のちに織田氏に復し、晩年は入道して、法名は常真といった。通称は介(北畠介)、北畠中将、尾張内府(尾張内大臣)など、伊勢国司を継いだため御本所とも敬称された。…
    155キロバイト (27,589 語) - 2024年6月13日 (木) 08:43
  • 立花道雪のサムネイル
    立花道雪 (立花家十二槍柱からのリダイレクト)
    名は大鶴九郎、上総介、式部少輔鎮俊、相模守鎮正、小田部上総入道宗雲、慶とも。小田部民部少輔鎮経(松浦隼人佐鎮隆)の子、大津留(大鶴)左馬頭長清の跡を継ぐ。『宗像記追考』鷲嶽城 大鶴氏 P.537~538 ^ 名は大鶴弥助鑑尚、式部少輔鎮忠、弾正入道宗秋、山城入道宗周、安芸入道、右京入道
    126キロバイト (20,067 語) - 2024年4月25日 (木) 12:55
  • 達磨のサムネイル
    漏の因です。影が物をかたどっているようなもので、存在はしても実体ではありません。」 帝は言った。「真の功徳とはどのようなものだろうか。」 答えた。「智は妙円ですが、その本体はそもそも空です。このように功徳は俗世間で求められるものではありません。」 帝はまた質問した。「聖諦の根本的意味はどのようなものだろうか。」…
    17キロバイト (2,598 語) - 2024年5月8日 (水) 03:58
  • 酒井氏のサムネイル
    「其後信光公の御孫徳川次郎三郎長親公の御時 文亀元辛酉年九月 今川家大将伊勢新九郎長氏入道早雲と岩付の城下に於て御合戦御勝利なり。此時の先陣ハ酒井左衛門尉氏忠入道賢舎 両酒井を御前に召連て、昨日汝等が働、抜群之。殊尓汝が葵の紋の籏風に翻ひて見事なりき。今是を家に返しくれよ。」…
    48キロバイト (4,086 語) - 2024年5月23日 (木) 12:01
  • 宇喜多氏のサムネイル
    なお、宇喜多姓自体は、鎌倉期の『吾妻鏡』や南北朝期の『太平記』等にもその名は確認できず、室町時代において『西大寺文書』に記載された「宇喜多五郎右衛門入道宝昌」とあるのが文献で確認できる初出であることから、守護・地頭といった鎌倉時代以降の統治機構に元々は組み入れられていなかった人々により、室町時代に成…
    32キロバイト (3,715 語) - 2024年4月12日 (金) 22:14
  • すえみつ)は、鎌倉時代前期の武士。鎌倉幕府の御家人。大江広元の四男。 3代将軍・源実朝に仕え、鶴岡八幡社参行列では前駆に加わった。実朝の死後出家し、入道西阿と称した。 承久3年(1221年)、承久の乱が起こると、北条泰時に従って後鳥羽上皇と呼応する勢力と戦い、美濃国の木曽川の突破戦や、山城国の宇治川…
    8キロバイト (794 語) - 2024年3月25日 (月) 18:03
  • 高橋紹運のサムネイル
    名は大鶴九郎、上総介、式部少輔鎮俊、相模守鎮正、小田部上総入道宗雲、慶とも。小田部民部少輔鎮経(松浦隼人佐鎮隆)の子、大津留(大鶴)左馬頭長清の跡を継ぐ。 ^ 名は大鶴弥助鑑尚、式部少輔鎮忠、弾正入道宗秋、山城入道宗周、安芸入道、右京入道宗秀とも。大津留鎮正の三男。父から鷲ヶ嶽城の城主職を継承す…
    60キロバイト (8,940 語) - 2024年4月21日 (日) 09:57
  • 「車の道場」(略称、車屋)や地名から上野別堂とも呼ばれる。景之は念仏の行者となり、空然と称したとされる。 そして、景之は親鸞の五男とされる道性(益方入道有房)を車の道場に迎え入れ、その子如覚の代になり、車の道場の地が狭隘となったことにより、景之は新たに鯖江の地を如覚に寄進して寺院を建立し、後二条天皇…
    4キロバイト (698 語) - 2021年11月2日 (火) 16:40
  • 承久の乱のサムネイル
    おり、承久の乱を契機に甲斐源氏の一族は西国へ進出している。 ^ 越中中世史研究者の久保尚文は、「宮崎求馬氏蔵文書」所収の石黒系図に見える石黒左衛門入道覚こそ石黒三郎その人であろうとする。なお、その息子左衛門三郎俊綱は「親に先立って死んだ(先親父死去)」と記されるが、恐らく承久の乱で戦死したのではないかと推測される。…
    61キロバイト (10,544 語) - 2024年6月27日 (木) 14:00
  • 慧沼のサムネイル
    を学び、その奥旨を究めた。咸亨3年(672年)、長安で基と普光の二師に修学して高い評価を受け、「山東一遍照」と号した。武周の頃から、法宝・法蔵らと義の翻訳事業に参加している。開元2年(714年)、67歳で入滅した。 慧沼が所属した寺院については、複数知られている。『神塔碑』に白馬寺とあり、「大唐…
    10キロバイト (1,345 語) - 2021年12月29日 (水) 13:29
  • 秀・同定頼子息義賢・浅井下野守久政供奉。 十八年二月中旬、摂州の三好筑前守源長慶同名宗三入道と不和なり。此事を晴元に訴ふる所に、晴元偏に示を贔屓せらる。長慶大に怒りて宗三入道を討たんと欲す。【三好長慶同宗三入道と合戦】是に依つて、宗三、晴元の嫡子右馬頭晴賢の居城中島の城に楯籠る。長慶三千七百余騎
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