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  • 間宮林蔵のサムネイル
    この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(Microsoftコードページ932(はしご高))が含まれています(詳細)。 間宮 林蔵(まみや りんぞう)は、江戸時代後期の徳川将軍家御庭番、探検家。名は倫宗(ともむね)。元武家の帰農した農民出身であり、幕府で御庭番を務めた役人であった。生年は安永4年(1775年)とも。…
    17キロバイト (2,642 語) - 2024年3月25日 (月) 07:59
  • はやし家 林蔵(はやしや りんぞう)は、落語家の名前。 初代正月庵林蔵 - 後∶吉原八十太夫 二代目林家林蔵 - 初代林蔵の門で林蝶改メ二代目林蔵となった。『東都噺者師弟系図』には「二代目」として見える。 三代目一月家林蔵 - 後∶橘家林喬 睦月家林蔵 - 後∶林家正楽 はやし家 林蔵(はやしや りんぞう、1942年7月8日…
    4キロバイト (509 語) - 2024年4月5日 (金) 03:16
  • 小野村林蔵のサムネイル
    小野村 林蔵(おのむら りんぞう、1883年〈明治16年〉1月22日 - 1961年〈昭和36年〉10月11日)は、日本の牧師、戦前は植村正久の弟子で日本基督教会の指導者。日本キリスト教会の創立者、指導者。 三浦綾子に洗礼を授けた牧師として知られ、三浦の作品に頻繁に登場する。…
    10キロバイト (1,083 語) - 2024年1月28日 (日) 10:32
  • ウィルタのサムネイル
    1800年(寛政12年)に蝦夷地御用御雇に任じられて蝦夷地勤務となった間宮林蔵は、1808年(文化5年)、松田伝十郎とともに樺太探検を命じられた。2人は二手に分かれて進み、伝十郎は西海岸、林蔵は東海岸を進むこととした。林蔵はシラヌシ(本斗郡好仁村)から東へ向かってタライカ(敷香郡敷香町)まで到達し…
    48キロバイト (6,299 語) - 2024年5月15日 (水) 11:05
  • 江戸深川の永代橋が崩落し、死者・行方不明者1400人以上(永代橋崩落事故)。 文化5年(1808年): 江戸湾沿岸に砲台修築起工。 文化5年(1808年): 間宮林蔵が樺太を探検し、間宮海峡を発見。 文化5年(1808年)8月: イギリス船フェートン号が長崎に来航、長崎奉行松平康英が引責自殺(フェートン号事件)。…
    11キロバイト (784 語) - 2024年5月2日 (木) 10:07
  • ニヴフのサムネイル
    1800年(寛政12年)に蝦夷地御用御雇に任じられ、以降、蝦夷地勤務となった間宮林蔵は、1808年(文化5年)、松田伝十郎とともに樺太探検を命じられた。2人は二手に分かれて進み、伝十郎は西海岸、林蔵は東海岸を進むこととした。林蔵はシラヌシ(本斗郡好仁村)から東へ向かってタライカ(敷香郡敷香町)まで到達し…
    104キロバイト (14,170 語) - 2024年5月15日 (水) 13:38
  • 松田 伝十郎(まつだ でんじゅうろう)は、江戸時代中期から後期にかけての幕臣・探検家。諱は元敬。幼名は幸太郎。のち仁三郎。間宮林蔵と樺太を踏査し、樺太見聞の実測図を作成した。 越後国頚城郡鉢崎村(現新潟県柏崎市)の貧農浅貝長右衛門の家に長男として生まれ、そこで道普請をしていた幕臣大西栄八郎にその才能…
    7キロバイト (932 語) - 2022年3月4日 (金) 07:03
  • フェートン号事件 イベリア半島戦争(-1813年) ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ、『ファウスト』第1部出版 アメリカ、奴隷貿易を禁止 間宮林蔵、樺太を探検。 ゲイ=リュサック、気体反応の法則を発見。 12月22日 - ベートーヴェンの交響曲第5番(運命)と交響曲第6番「田園」がオーストリア…
    5キロバイト (711 語) - 2021年6月12日 (土) 11:20
  • 間宮海峡のサムネイル
    把握しておらず、樺太を半島とみなしていた。樺太とサハリンが別の地域を指すとの誤認(吉村昭の『間宮林蔵』に記述がある)や、カムチャツカ半島と樺太を混同していた等の理由からと思われる。 シーボルトは、間宮林蔵の調査を評価。その著書『日本』においてタタール海峡の最狭部を「Str. Mamia seto…
    12キロバイト (1,720 語) - 2023年12月27日 (水) 00:44
  • 瀬戸一家のサムネイル
    、小林、松波がそれぞれ大井派、多治見派、品野派、松波派を起こした。繁十の子分は桜井林蔵、鈴太郎こと加藤幸助が傑出していた。1906年(明治39年)4月23日病没。 松原繁十病没後、子分の桜井林蔵が四代目となった。林蔵の子分は勇五郎こと中島勇治郎を初め要吉こと梅村二三、黒鉄または鉄五郎こと山本鉄次郎、田辺桑治郎らが傑出していた。…
    10キロバイト (1,581 語) - 2022年3月28日 (月) 03:46
  • ロシア・スウェーデン戦争(-1809年)。 イベリア半島戦争(-1813年)。 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ、『ファウスト』第1部出版。 アメリカ、奴隷貿易を禁止。 間宮林蔵、樺太を探検。 ヴァグラムの戦い。 ナポレオン・ボナパルト、ジョゼフィーヌと離婚し、ハプスブルク皇女マリー・ルイーズと結婚。 注釈 出典 [脚注の使い方]…
    5キロバイト (494 語) - 2023年7月29日 (土) 14:40
  • 1994年『オセロー』(演出:蜷川幸雄)日生劇場 1995年『水戸黄門』  明治座 1995年『新・刀化粧』(演出:田中林蔵)劇場飛天 1995年『新・刀化粧-恋炎の如くありしか』(演出:田中林蔵)新橋演舞場 1996年『おのぶの嫁入り』(演出:中川寿夫)京都南座 1996年『喜劇・帝国こころの妻』(演出:金盾進)大阪近鉄劇場…
    26キロバイト (3,263 語) - 2024年6月10日 (月) 19:48
  • パステルのサムネイル
    オイルパステルは顔料にワックスなどの油性材を混ぜたパステル。1925年に日本で、教育者でサクラクレパスの創業者でもある佐武林蔵と佐武の義兄の佐々木昌興によって開発された。クレパスもその一種である。この安価なパステルは、デッサンやスケッチの技法に適している。 パステルスティックの材料は次のもので作られている。…
    10キロバイト (1,265 語) - 2024年5月21日 (火) 19:57
  • 寛永18年(グレゴリオ暦1641年6月25日) - 江戸幕府が平戸のオランダ人を長崎の出島に移住させる 文化6年(グレゴリオ暦1809年6月29日) - 間宮林蔵が樺太に単身で渡り樺太が島であることを立証。間宮海峡と名附けられる 明治3年(グレゴリオ暦1870年6月15日) - 屯田兵が北海道に入植 寛文8年(グレゴリオ暦1668年6月26日)…
    2キロバイト (311 語) - 2023年11月13日 (月) 12:52
  • 明暦元年(グレゴリオ暦1655年5月18日) - 後西天皇の即位に伴い承応より明暦に改元 文化5年(1808年5月8日) - 間宮林蔵が幕命により樺太探検に出発 安政3年(1856年5月16日) - 幕府、築地に講武所を開設。剣術の他、洋式調練・砲術などを教授 天保9年(グレゴリオ暦1838年5月6日)…
    2キロバイト (393 語) - 2020年4月1日 (水) 02:22
  • 正平7年/観応3年(ユリウス暦1352年3月12日) - 足利直義、武将・足利尊氏の弟(* 1306年) 弘化元年(グレゴリオ暦1844年4月13日) - 間宮林蔵、探検家(* 1775年) 旧暦の日付の一覧:1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 前日:2月25日 翌日:2月27日…
    2キロバイト (356 語) - 2024年2月13日 (火) 09:32
  • 佐渡ヶ嶌 林蔵(さどがしま りんぞう、1909年10月5日 - 1955年3月17日)は、新潟県佐渡郡(現・佐渡市)出身で浅香山部屋、井筒部屋に所属した力士。本名は佐々木 林蔵。182cm、98kg。最高位は西前頭12枚目。 1933年1月初土俵。軍隊を終えた後だったため、23歳と遅い入門だった。…
    3キロバイト (330 語) - 2023年12月30日 (土) 12:51
  • 上川郡 (石狩国)のサムネイル
    林蔵は上川郡域を調査。文政4年には一旦松前藩領に復した。安政2年再び公儀御料(幕府直轄領)となり、上川郡域付近まで幕府(箱館奉行)によって置かれた石狩役所の所管となる。警固は庄内藩がおこなった。松浦武四郎は安政4年と安政5年上川郡域を調査、安政4年の案内役アイヌ・ヒヤテキの父親は間宮林蔵の調査に同行しているという。…
    12キロバイト (1,843 語) - 2023年9月24日 (日) 12:13
  • 宗谷岬のサムネイル
    年)には周辺に駐車場と広場を設置するため海岸を埋め立て、広場の最も北側の場所に移設した。 間宮林蔵の立像 1808年(文化5年)に宗谷から樺太へ渡り、樺太が島であることを発見(間宮海峡の発見)した間宮林蔵の偉業を称え、青少年に世界へ羽ばたく夢と勇気を培ってもらおうという願いを込め、生誕200年とな…
    30キロバイト (2,952 語) - 2024年6月14日 (金) 12:13
  • トマス・ギルマー、アメリカ合衆国海軍長官(* 1802年) 3月8日 - カール14世ヨハン、スウェーデン王(* 1763年) 4月13日(天保15年2月26日) - 間宮林蔵、探検家(* 1775年) 5月2日 - ウィリアム・トマス・ベックフォード、作家・美術評論家(* 1760年) 5月29日(天保15年4月13日)…
    9キロバイト (1,431 語) - 2021年11月2日 (火) 15:17
  • 係る、土人以て素より霊異を著はすと為す、喇嘛は之を斥けたりと。此文の尾数語は、林蔵が衆夷遥拝すといへるに符合し、而して恒滾河は蓋し林蔵が所謂ホンコー河の対音なるべく、此記には大国、羅刹即ち露西亜を平げし時建てたりとし、林蔵が記には魯斉亜人の建つる所と為すの異なるあれど、要するに当時荆榛の間に没せし碑
  • 幕府は、北方の海岸の警備に力をいれます。また、間宮林蔵(まみやりんぞう)などに千島や樺太の探検を命じます。 また、伊能忠敬(いのうただたか)に、蝦夷地(えぞち、北海道)を測量させました。 そして、間宮林蔵は間宮海峡(タタール海峡)の発見<=樺太が島であることを証明>、伊能忠敬
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