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  • 鉄扇を投げつけるパターンもある。鉄扇に書かれた「夢」で榊夢之介であることに気付いた黒幕達を、榊原は「人の命を弄んだ貴様らに、もはや見る夢は無いのだ。神妙に縛につけ!(もしくは「観念せい!」)」と一喝するが、それでも襲いかかろうとする悪党に「関わり無き者は去れ!さもなくば…斬る!」と決め台詞を吐く(黒…
    60キロバイト (3,805 語) - 2024年5月30日 (木) 07:08
  • 小鉄の大冒険(主人公・小鉄が使う剣術が京流という設定) 公家侍秘録(主人公・天野守武が京流の使い手という設定) チャンバラ-佐藤賢一(主人公・宮本武蔵が剣を交える吉岡清十郎、伝七郎らの吉岡兵法所を京流と記す) ^ 文化財 鞍馬寺 ^ 甲陽軍鑑 ^ 本朝武芸小伝 秘伝京流 - 渡辺勝利(著)叢文社(2003年(平成15年)12月)…
    6キロバイト (1,055 語) - 2023年7月18日 (火) 07:25
  • 西郷頼母のサムネイル
    江戸邸)武学寮で教授されていた武芸は、弓術(道雪派、印西派)、馬術(大坪古流)、槍術(大内流、宝蔵院流、一旨流)、刀術(太子流、神道精武流)、柔術(神妙流)水練があった。学問を通じて長州吉田松陰とも交流があった。会津藩士林三郎は下級藩士の次男で幕府麹町教授所塾頭から勝海舟補佐役・幕臣になった。頼母は…
    21キロバイト (3,464 語) - 2024年3月31日 (日) 11:08
  • 竹内流のサムネイル
    雄が十代目を継ぎ弟の竹内久種は流儀断統を防ぐために立てられた分家の当主となり竹内藤十郎を名乗った。この時に相伝家が生まれ当主は竹内藤十郎を襲名するようになった。 現在は、宗家である竹内藤一郎家と相伝家である竹内藤十郎家の伝承が残っており、岡山市北区建部町角石谷にある竹内家で伝承されている。現存して…
    19キロバイト (3,090 語) - 2024年5月24日 (金) 08:51
  • 起倒流のサムネイル
    十郎右衛門と子の枝松千葉助は共に竹中元之進の門人であり足守藩でも学ばれていた。 竹中元之進は大久保玄蕃知行所の大久保紀伊守に仕えていたとされる。 竹中元之進の門人には竹中鉄之助の他、市川𠀋助、土方恵、中嶋恒之助、田村伊八郎、小菅惣七、枝松十郎右衛門、枝松千葉助などがいた。 枝松十郎
    36キロバイト (6,492 語) - 2024年5月10日 (金) 14:29
  • 冨田流のサムネイル
    https://doi.org/10.11214/budo1968.38.2_23 2020年4月24日閲覧。  ^ 戸部新十郎 1995 p.369-370 戸部新十郎『兵法秘伝考』新人物往来社、1995年、369-370頁。ISBN 4-404-02185-2。 …
    6キロバイト (879 語) - 2022年12月25日 (日) 04:02
  • 小栗流のサムネイル
    足達長十郎達男 足達駒之丞達長 足達傳蔵達善 足達武之助正達 西尾忠平 宮﨑九内正任 宮﨑九兵衛 池野七之進 日根野弁次吉賢 日根野左右馬恵吉 日根野弁治吉善 坂本龍馬 平尾伴九郎久喜 平尾伴五郎成美 平尾小源太弘茂 平尾作内喜繁 藤田彦四郎 渡辺勘十郎成勝 渡辺新右衛門正勝 渡辺勘十郎時勝…
    4キロバイト (575 語) - 2022年11月12日 (土) 06:26
  • 直指流(じきしりゅう)は、江戸時代につくられた剣道の流派である。 直指流は、始祖の山中平内重政にはじまる。二世の長谷川十郎左衛門紀隆より広く世に知られ、豊後岡藩へ。そして、豊後岡藩の小嶋傳平(改名、濱惣右衛門)より豊後府内藩に伝承された古流である。 始祖は山中平内重政である。慶長10年(1605年)…
    6キロバイト (1,004 語) - 2024年4月17日 (水) 11:02
  • 仮名手本忠臣蔵のサムネイル
    ナ、水雑炊を食らはせい」「ハア」「行け」 ⇒(段目あらすじ) 大石内蔵助が敵の目を欺くため、京の祇園の遊郭で遊び呆けてみせるというのは「忠臣蔵」の物語ではおなじみの場面だが、そのおおもとになったのがこの七段目である。もっともこの七段目も、初代澤村宗十郎の演じた芝居がもとになっている(後述)。…
    198キロバイト (34,173 語) - 2024年5月19日 (日) 03:03
  • 葛飾北斎のサムネイル
    七十年前描く所は実に取るに足ものなし 七十三才にして稍禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり 故に八十歳にしてハ益ゝ進み九十歳にて猶其奥意を極め 一百歳にして正に神妙ならん歟 百有十歳にしてハ一点一格にして生るがごとくならん 願くハ長寿の君子予が言の妄ならざるを見たまふべし — 『富嶽百景』初編跋文…
    211キロバイト (31,833 語) - 2024年5月15日 (水) 02:19
  • あってはならない。このようにして描けば、霊ある龍、威のある虎が描けるはずである。二用の心がけがない状態を会得することができれば、何を描いても自然と「神妙」な絵が描ける。そのことをただ思いなさい」と答えた。 隠元との面会後間もなくのことだと想定すれば、益信は既に40代前半で何らかの画境に至っていても不…
    15キロバイト (1,609 語) - 2024年3月23日 (土) 02:13
  • 吉川市郎右衛門 伊藤久三郎 小山左門(中興祖) 相沢忠之進東軒 千葉義祐 星貞吉(東北伝近代祖) 星清右衛門 星彦十郎 星清作 星精一 星則男 星徳一 星彦十郎 佐藤長蔵(藤里・瀬峰) 佐藤長蔵 星彦十郎 星國雄 星裕文 高橋彦吉(新田・星貞吉の相伝者。) 鈴木兵吉 斎田茂七(南郷) 安部睦男(南郷) 武田軍虎(鹿島台)…
    11キロバイト (1,759 語) - 2024年5月22日 (水) 09:36
  • 小野派一刀流のサムネイル
    調査の結果、渋谷東馬の師は一刀流小野派十三代大竹学兵衛、武田惣角は明治4年小野派一刀流養気館で師範代武田善十郎に学んだ。戊辰戦争後、新政府の監視が厳しく、渋谷は剣術を教えていないが、写真が公開された。武田善十郎は坂下警察署の師範代を兼務、仙台の小野派一刀流一条宗直と交流があった。明治8年、柳津円蔵寺に小野派…
    11キロバイト (1,808 語) - 2024年5月6日 (月) 00:16
  • 気楽流のサムネイル
    吉田丈太郎 矢島忠蔵(16世) (富岡白岩)養武館 大正2年免許 茂木忠三郎(君川) 松本善十郎 大蔵善一郎 辰巳半平 浅見源太郎 福田傳十郎 牧野幸太郎 市川米吉 新井金太郎  堀越平重郎 石塚栄吉義正(15世) 鈴木嘉義光 松岡龍雄(神道楊心流三代目宗家) 不破咲三(不破流を創始)…
    47キロバイト (7,975 語) - 2024年4月29日 (月) 13:29
  • 忠臣蔵のサムネイル
    女ルリは進藤源四郎のもとへ養子に行った後浅野長十郎へ嫁いでいる。 また大石が赤穂時代に妾と作った子供も元禄15年に夭折しているし、山科で妾と作った子供は『半日閑話』が書かれた時点でまだ7歳である。 15歳以上の男子は4人(吉田伝内、中村忠三郎、間瀬惣、村松政右衛門)おり、彼らは処分にしたがって遠…
    231キロバイト (34,712 語) - 2024年6月5日 (水) 23:38
  • 居合術のサムネイル
    、無心に刀を抜き納めする、その精神修養性の強い稽古方法から、居合は、坐禅・立禅に対して「動く禅=動禅」と称されることもあり、それは沢庵宗彭の『不動智神妙録』で説かれた「剣禅一致」に通ずる。なお、基本的に独稽古かつ必要最小限の限られた空間に日本刀一本と帯さえあればそのほかに何も必要としないため、ミニマ…
    76キロバイト (11,198 語) - 2024年1月25日 (木) 12:22
  • 『月刊剣道日本』2012年11月号116-117頁、スキージャーナル 警視庁警務部教養課編『警視庁武道九十年史』(1965年) 庄子宗光『剣道百年』、時事通信社 戸部新十郎『明治剣客伝 日本剣豪譚』、光文社 『月刊剣道日本』1999年8月号 特集 古流を遣う〈前編〉、スキージャーナル…
    9キロバイト (1,310 語) - 2024年5月27日 (月) 07:24
  • 制剛流のサムネイル
    新村弥七郎安利宗雲 新村伝五右衛門安平 神谷又右衛門 中村留吉 竹田八郎 里村隨心入道政氏(隨心流) 高橋隨悦諸氏 林庄兵衛諸屋 富永武太夫兼里 和田十郎右衛門正重(和田隨心入道正重、和田随可入道重永) 肥塚勘七郎重信 小野次右衛門尉政高 小野次惣次則辰 小野七郎七重辰(一角流捕手師範) 小野總吉則重…
    11キロバイト (1,678 語) - 2024年3月17日 (日) 10:10
  • 浅山一伝流のサムネイル
    ら浅山一伝が武術を学び、開いた流派としていた。さらに別に、浅山一伝の師は真貫流を開いた奥山左衛門大夫忠信とも、また上泉伊勢守信綱門の中村泉十郎から神陰流を学んで天狗の一人と呼ばれた人で、幼名を三五郎と称し内蔵助重晨とも名乗ったとも伝えられていた。しかし近年、この伝承は浅山一伝一存という別人が開いた…
    11キロバイト (1,795 語) - 2024年4月7日 (日) 14:19
  • 竹林と呼ばれる系統があり、正確には「日置流尾州竹林派六左衛門系の星野系江戸竹林派」と言える。 利實の父本多八十郎利重は江戸幕府の旗本(凛米300俵)であった。本多家は野条氏出身の初代本多八十郎利友が、本多忠政の烏帽子子となって本多を称して興した家で、大番筋に当たる。利重はその11代である。家紋は「立…
    12キロバイト (1,951 語) - 2024年4月20日 (土) 09:38
  • ○諸国へ御使者衆四人  一日向源藤斎  一秋山十郎兵衛  一西山十右衛門  一雨宮ぞんてん【ぞんてんは存銕ノ誤ナルヘシ】  在府衆在郷衆惣近寄(き)二百五人奥衆三十五人の内にて御陣の時 ○御使いたすは大方むかでの差物の衆也  一諏訪越中  一工藤市兵衛  一染戸左京​(ノ)介  一山田弥助【一本ニ小山弥助トアリ】  一小山田
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