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このウィキでページ「上総一宮」は見つかりませんでした。以下の検索結果も参照してください。
- 上総国分寺 法燈は医王山清浄院国分寺(市原市惣社、本尊:薬師如来)が伝承する。 上総国分尼寺 未詳。 延喜式内社 『延喜式神名帳』には、以下に示す大社1座1社・小社4座4社の計5座5社が記載されている(上総国の式内社一覧参照。大社1社は、名神大社である。 埴生郡 玉前神社 (長生郡一宮町一宮) -…30キロバイト (3,728 語) - 2024年1月20日 (土) 10:45
- 千葉県道30号飯岡一宮線(九十九里ビーチライン) 一般県道 千葉県道123号一宮片貝線 千葉県道148号南総一宮線 千葉県道152号一宮椎木長者線 千葉県道228号一宮停車場線 千葉県道274号松丸一宮線 自転車道 千葉県道402号長生茂原自転車道線 千葉県道405号九十九里一宮大原自転車道線 玉前神社(上総国一宮)…33キロバイト (3,277 語) - 2024年2月17日 (土) 05:45
- 一宮藩(いちのみやはん)は、上総国長柄郡の一宮陣屋(現在の千葉県長生郡一宮町字城内)を藩庁として、江戸時代後期から廃藩置県まで存在した藩。1826年、伊勢国八田藩主・加納久儔が飛び地領であった当地に居所を移転して成立した。以後、譜代大名の加納家が4代約50年にわたって治めた。石高は1万3000石。…6キロバイト (774 語) - 2024年4月10日 (水) 04:40
- 玉前神社(上総国一宮) - 駅名の由来となった神社。 国道128号(房総横断道路) 千葉県道30号飯岡一宮線(九十九里ビーチライン) 千葉県道148号南総一宮線 千葉県道228号一宮停車場線 一宮町役場 千葉地方裁判所一宮支部 茂原警察署一宮幹部交番 千葉県立一宮商業高等学校 一宮町立一宮中学校 一宮町立一宮小学校…24キロバイト (2,040 語) - 2024年4月10日 (水) 04:19
- - 中世以来は事実上総社として機能したとされる。 一宮:椿大神社(鈴鹿市山本町御旅、北緯34度57分51.17秒 東経136度27分5.57秒 / 北緯34.9642139度 東経136.4515472度 / 34.9642139; 136.4515472 (伊勢国一宮:椿大神社))…37キロバイト (5,365 語) - 2024年1月1日 (月) 02:51
- 一宮(いちのみや)とは、ある地域の中で最も社格の高いとされる神社のことである。一の宮、一ノ宮、一之宮などとも書く。 通常単に「一宮」といった場合は、令制国の一宮を指すことが多い。一宮の次に社格が高い神社を二宮、さらにその次を三宮のように呼び、更に一部の国では四宮以下が定められていた事例もある。『「…109キロバイト (6,044 語) - 2024年5月18日 (土) 13:14
- 織田尚長:初代藩主 織田秀綿:第10代藩主 織田信陽:第11代藩主 織田信及:第13代藩主 上総一宮藩加納家 加納久慎:加納家4代。伊勢八田藩第4代藩主 加納久徴:加納家6代。上総一宮藩第2代藩主 加納久恒:加納家7代。上総一宮藩第3代藩主 豊後日出藩木下家 木下俊泰:第9代藩主 木下俊敦:第13代藩主 木下俊愿:第16代藩主…33キロバイト (5,093 語) - 2024年3月30日 (土) 05:53
- 加藤泰幹:第11代藩主 加藤泰秋:第13代藩主 上総一宮藩加納家 加納久通:加納家初代。伊勢八田藩初代藩主。徳川吉宗の側近 加納久周:加納家3代。八田藩第3代藩主 加納久儔:加納家5代。八田藩第5代藩主、上総一宮藩初代藩主 加納久宜:加納家9代。一宮藩第4代藩主 肥後人吉藩相良家 相良定頼:南北朝時代の武将。肥後相良氏第6代当主…36キロバイト (4,887 語) - 2024年1月12日 (金) 20:22
- 千葉県道228号一宮停車場線(ちばけんどう228ごう いちのみやていしゃじょうせん)は、千葉県長生郡一宮町を走る一般県道。 起点:長生郡一宮町一宮(外房線上総一ノ宮駅) 終点:長生郡一宮町一宮(一宮海岸交差点、千葉県道30号飯岡一宮線交点) 総延長:*.* km(長生土木事務所管内:*.* km) 重用延長:*…2キロバイト (199 語) - 2023年11月15日 (水) 07:51
- 千葉県北部と茨城県南西部が主たる領域にあたる。 現在の千葉県北部と茨城県南西部を主たる領域とする旧国名。北で常陸国と下野国、西で上野国と武蔵国、南で上総国、江戸内海を挟んで相模国と接する。 『古語拾遺』によると、よき麻の生いたる土地というところより捄国(ふさのくに・総国)と称したとされる総国の北部に…33キロバイト (4,974 語) - 2024年2月1日 (木) 14:23
- 太田資功:太田家10代。掛川藩第6代藩主 太田資美:太田家11代。掛川藩第7代藩主、上総松尾藩主 上総一宮藩加納家 加納久周:加納家3代。伊勢八田藩第3代藩主 加納久儔:加納家5代。八田藩第5代藩主、上総一宮藩初代藩主 加納久徴:加納家6代。一宮藩の第2代藩主 近江小室藩小堀家 小堀正之:第2代藩主。茶人小堀遠州の子…31キロバイト (4,783 語) - 2024年4月5日 (金) 01:15
- 7月13日 - 沼津藩が上総菊間藩、小島藩が上総金ヶ崎藩(後に桜井藩)、田中藩が安房長尾藩に転封。 9月5日 - 横須賀藩が安房花房藩に転封。 1868年(明治元年) 11月7日 - 掛川藩が上総柴山藩に転封。 以上の変更により、全域が府中藩の管轄となる。 1869年(明治2年)8月7日…27キロバイト (4,283 語) - 2023年12月5日 (火) 03:45
- 前橋藩・館林藩の領地替えにより、邑楽郡の前橋藩領が館林藩領となる。 伊勢崎藩の領地替えにより、佐位郡で幕府領・旗本領などの一部が伊勢崎藩の管轄となる。 上総一宮藩の領地替えにより、佐位郡の飛地領が岩鼻県の管轄となる。 上総請西藩の改易、出羽松山藩の減封により、山田郡の領地が岩鼻県の管轄となる。 明治2年 6月 - 出羽松山藩が松嶺藩に改称。…41キロバイト (6,458 語) - 2024年4月28日 (日) 09:03
- 玉前神社 (カテゴリ 上総国の式内社)玉前神社(たまさきじんじゃ)は、千葉県長生郡一宮町一宮にある神社。式内社(名神大社)、上総国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。 祭神は次の1柱。 玉依姫命 (たまよりひめのみこと) 社伝では、玉依姫命は海からこの地に上がり、豊玉姫命から託された鵜葺草葺不合命を養育した。のち鵜葺草葺…10キロバイト (1,279 語) - 2023年4月3日 (月) 08:53
- じ日にはそれまで当駅と同名を称していた3か所の「一ノ宮駅」もそろって駅名を変えている(それぞれ上総一ノ宮駅、三河一宮駅、長門一ノ宮駅〈現・新下関駅〉に改称)。 1952年(昭和27年)11月15日:尾張一宮駅に改称する。 1972年(昭和47年)11月1日:旅行センター開業。 1979年(昭和54年)2月1日:貨物の取り扱いを廃止する。…23キロバイト (2,702 語) - 2024年4月20日 (土) 16:28
- 上総地区屈指の穀倉地帯であり、埴生川、瑞沢川流域の地下には、南関東ガス田による豊富な天然ガスが埋蔵されていることが特徴。 農業 製造業 ガス事業(睦沢町のガスは隣の長南町のガス事業によって供給されている) 長生郡一宮町のJR外房線上総一ノ宮駅の近隣である町北部は、上総一…16キロバイト (1,238 語) - 2023年11月29日 (水) 01:55
- 後の北相馬郡域(1町98村) - 幕府領、旗本領、田安徳川家領、下総関宿藩、下総高岡藩、上総一宮藩、常陸土浦藩、常陸牛久藩、下野烏山藩、山城淀藩 後の南相馬郡域(43村) - 幕府領、旗本領、下総関宿藩、上総一宮藩、駿河田中藩 慶応4年 7月13日(1868年8月30日) - 駿河田中藩主本多正訥が安房長尾藩に転封される。…7キロバイト (936 語) - 2024年3月17日 (日) 07:49
- 上総 広常(かずさ ひろつね、旧字体:上總 廣常)は、平安時代末期の武将、豪族、上総氏。上総権介平常澄の八男(嫡男)。上総 介広常(かずさのすけひろつね、旧字体:上總 介廣常)の呼称が広く用いられるが、上総介は官位であり、本名は平 広常(たいら の ひろつね)である。…18キロバイト (2,766 語) - 2024年3月5日 (火) 04:51
- 外房線 (千葉駅 - 上総一ノ宮駅間の節)1916年(大正5年)1月1日:一ノ宮駅が上総一ノ宮駅に改称。 1925年(大正14年)12月15日:東浪見駅が開業。 1927年(昭和2年)4月1日:勝浦駅 - 上総興津駅間が延伸開業。 1929年(昭和4年)4月15日:上総興津駅 - 安房鴨川駅間が延伸開業し全通。北条線が房総線に編入。…77キロバイト (9,933 語) - 2024年4月28日 (日) 19:13
- ▪︎四方木を除く全域 律令制以前のこの地域には、阿波国造と長狭国造の2つの国造が置かれていた。律令制において令制国である上総国の一部となり、養老2年5月2日(718年6月4日)、上総国のうち阿波国造と長狭国造の領域だった平群郡、安房郡、朝夷郡、長狭郡の4郡を分けて安房国とした。国造は「阿波」の表記で…18キロバイト (2,561 語) - 2024年1月31日 (水) 11:46
- 可被向。」とぞ告申ける。是をこそ珍事なりと騒ぐ処に、又同十三日の晩景に、備後の国より早馬到来して、「桜山四郎入道、同一族等御所方に参て旗を揚、当国の一宮を城郭として楯篭る間、近国の逆徒等少々馳加て、其勢既七百余騎、国中を打靡、剰他国へ打越んと企て候。夜を日に継で討手を不被下候はゞ、御大事出来ぬと覚候