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  • 、朝鮮通信使の来日中の改元は事務上の問題に加えて外聞の問題も生じるとして4ヶ月延期された。 ^ a b 明治天皇の崩御当日に改元の詔書(明治四十五年七月三十日以後ヲ改メテ大正元年ト為ス)を発した。同日は、「明治45年」であったが、「大正元年」に改められた。 ^ a b…
    79キロバイト (1,186 語) - 2024年5月26日 (日) 02:07
  • 武藤信義のサムネイル
    は陸軍大学校に入校。1899年(明治32年)、第13期の首席の成績を修めて恩賜の軍刀を授けられる。 日露戦争に近衛師団参謀として参戦し、緑江会戦勝利の功により緑江軍参謀に進む。奉天会戦に参加。 日露戦帰還後は、ロシア公使館付武官補佐官、1908年(明治41年)12月21日に参謀本部欧米課長。1…
    20キロバイト (2,860 語) - 2024年2月4日 (日) 05:30
  • レトヴィザン (戦艦)のサムネイル
    財部彪』 ^ #廃棄艦処分答弁p.5『肥前 七月下旬 砲煌及魚雷ニ関スル実驗』 ^ #T1307艦船行動(2)p.4『七月十七日|攝津|佐伯|肥前曳航正午着』 ^ #航泊日誌(呉竹)T1306(2)p.7『大正十三年七月二十五日 金曜日(略)11-40|登舷礼式施行(肥前ニ対シ)』…
    48キロバイト (7,015 語) - 2024年5月14日 (火) 01:37
  • 大弧山に上陸した第四軍は独立第十師団を取り込み、遼陽へ進撃した。その途上にある要衝、海城近郊にはシベリア第二軍団が布陣していた。 七月二十七日、滿洲軍總司令官は諸情報により、遼陽攻擊の準備のため先づ第二、第四軍を前方に進むるを必要なりとし、第五師團を柝木城(ママ)附近に於て第四軍に…
    6キロバイト (1,057 語) - 2023年1月20日 (金) 13:53
  • 樺太の戦い (1905年)のサムネイル
    出典:古屋哲夫『日露戦争』中央公論社、1966年 ^ 出典:外務省編『小村外交史 上』新聞月鑑社、1953年 ^ 出典:能仲文夫『樺太アイヌの足跡』第一書房、1983年 ^ 明治三十八年七月廿九日片岡北遣艦隊司令長官ニ賜リタル勅語 アジア歴史資料センター 太平洋戦争研究会編、平塚柾緒著 『図説日露戦争』 河出書房新社、1999年。…
    8キロバイト (1,062 語) - 2024年4月3日 (水) 13:43
  • ツルゲエネフへの書簡」(中山省三郎訳)、「妻への書簡 - 一八七四年七月より一八八〇年にいたる」(谷耕平訳)、「書簡を通じて見たるドストイエフスキイ」(アンドレ・ジッド)が収載 『文芸書簡集』(ゴリキイ、ナウカ社) 1936 『大膽な子』(ミハイル・プリシュヴィン、中央公論社) 1942…
    4キロバイト (381 語) - 2023年7月22日 (土) 06:02
  • 納言。昭和3年(1928年)11月10日、贈従一位。 寿永2年(1183年)、六位蔵人となりまもなく叙爵され、のち豊前守・兵部権大輔・左衛門権佐・防河使などを歴任する。正治2年(1200年)、右少弁に任ぜられると、翌建仁元年(1201年)には権左少弁に昇進し五位蔵人を兼ね、元久元年(1204年)…
    8キロバイト (1,018 語) - 2024年5月24日 (金) 14:17
  • 三尾城 (近江国)のサムネイル
    高島郡三尾の地は、大陸や朝鮮半島からの文化を強く受ける地であったと思われる。 『日本書紀』668年(天智7年)7月、高句麗の使者が大津京を訪れている。 ( 秋七月、高麗、從越之路遣使進調。) その使者は日本海を渡海し北陸路(越之路)から高島郡三尾を通って大津京へ入っているのである。…
    7キロバイト (1,027 語) - 2023年9月20日 (水) 16:33
  • 日清戦争のサムネイル
    田保橋潔『近代日鮮関係の研究(下巻)』朝鮮総督府中枢院、1940年、447-449頁。"大鳥公使は七月二十三日政変が一段落告げると共に、清韓宗属関係の廃棄に注意し、七月二十五日景福宮に於て、大院君及び督弁趙督弁趙秉稷に会見し、明治二十七年七月二十日最後通牒の趣旨に従ひ、中朝商民水陸貿易章程の廃棄を宣言し、並に朝鮮国駐留…
    198キロバイト (33,574 語) - 2024年5月17日 (金) 22:09
  • 三輪君の祖・大友主命や君の祖・大賀茂都美命と兄弟である田々彦命を祖としている。 その子孫と思われる人物に信濃国の神人部子忍男がおり、彼の防人歌が『万葉集』二十巻に収録されている。近隣の水内郡には式内社の美和神社が存在し、屋代遺跡群から発掘された木簡にも神人部の氏姓が見える。 『日本三代実録』貞観三年七月
    5キロバイト (645 語) - 2023年7月25日 (火) 16:44
  • 園城寺のサムネイル
    金地著色滝図(床間壁3)、梅、檜及花卉図(襖4)、桜、杉及花卉図4面(襖4)、檜及花卉図(戸襖4)(一の間) 勧学院客殿障壁画 24面 紙本著色松に山鳥、、鴛鴦図及竹に雀図(襖16)、竹に雀及芦に鷺図(戸襖8)(二の間) (工芸品) 金銅孔雀文磬 - 琵琶湖文化館寄託。 銅鐘 大平年間(遼)銘 - 琵琶湖文化館寄託。…
    73キロバイト (12,483 語) - 2024年6月14日 (金) 14:21
  • 順徳院兵衛内侍のサムネイル
      風體うつくしきさまにて見どころ侍り   霜枯の蘆まにのむら鳥の遊ぶをなむみる心地する   建保四年閏六月日内裏百番歌合に 春を 花の色は盡きじと思ふもゝ敷や おほ宮人の千世のかざしに   同歌合に 夕暮はなにはのあしびたきそめて こやもあらはに立つ煙かな   承久元年七月内裏百番歌合に 冬夜月を 貴船川ゆくせの月の氷るよに…
    6キロバイト (627 語) - 2020年10月19日 (月) 18:35
  • おかしな刑事14(2016年10月22日、テレビ朝日) - 矢沢英明 役 いつか好きだと言って(1993年、TBS) - 田所修平 役 同窓会(1993年、日本テレビ) - 七月の同窓生(タカマサ) 役 お金がない!(1994年、フジテレビ) - 吉村修平 役 私の運命(1994年、TBS) - 山田克雄 役 スウィート・ホーム(1994年、TBS)…
    33キロバイト (4,006 語) - 2024年6月18日 (火) 09:10
  • 等の企画運営を通じて、新たな詩歌の潮流を提示し、詩歌文芸の発展に寄与することを目的とする。 第1回(2005年度) 詩部門  関富士子『植物地誌』(七月堂) 短歌部門 桜井健司『融風区域』(ながらみ書房) 俳句部門 金子皆子『花恋』(角川書店)・大石悦子『耶々』(富士見書房) 第2回(2006年度)…
    8キロバイト (1,134 語) - 2024年3月30日 (土) 00:13
  • 日昌丸のサムネイル
    8月27日にマニラ発・9月4日に門司着。 ヒ83船団で11月25日に門司発・11月30日に高雄で離脱。 「日昌丸」は、高雄で「有馬山丸」「和浦丸」「緑丸」ともにタマ35船団を編成した。この船団は当時の日本陸軍に残る最優秀船を集めたもので、歩兵第39連隊・歩兵第71連隊によりレイテ島の戦いで逆上陸…
    18キロバイト (2,408 語) - 2023年10月27日 (金) 08:18
  • 石田三成のサムネイル
    代成立の逸話集などに登場する説であり、一次史料による裏付けはない。七月晦日付真田昌幸宛三成書状には「三成からの使者を昌幸の方から確かな警護を付けて、沼田越に会津へ送り届けて欲しい」(真田宝物館所蔵文書)と記されており、西軍決起後の七月晦日の段階においても、上杉家との確かな交信経路を持ち合わせていなか…
    76キロバイト (12,553 語) - 2024年6月4日 (火) 20:24
  • 藤原俊成女のサムネイル
    いる。「宰相中将権門の新妻と同宿し旧宅荒廃の間 歌芸により院より召すあり」「本妻を棄てて官女と同宿す 世魂在るの所を致すのみ」(『明月記』 建仁二年七月十三日条) ^ 「定家さん」の転訛か。「てんかさん」の指定名称で、たつの市指定史跡(“市内の指定・登録文化財”てんかさん)となっている。 ^…
    14キロバイト (1,373 語) - 2023年12月1日 (金) 21:26
  • 様、則工費多、将不及期、一国憂之。方慶為東南道都督使、先到全羅、遣人咨受省檄、用本国船様督造」 ^ 『元史』巻12・本紀12・世祖本紀9 至元十九年七月壬戌(1282年8月9日) 条「高麗国王請自造船百五十艘、助征日本」 ^ 一例として『高麗史』巻16・世家28・忠列王1…
    22キロバイト (3,687 語) - 2023年6月15日 (木) 10:12
  • 美濃国のサムネイル
    別に、平城宮から出土した木簡には「美野国」と表記されたものもある。藤原忠通書状案(天理図書館所蔵文書)には「御庄々、武義(美乃国)、山上(美乃国)、吉田(美乃国)、保元々年七月」と記載されている。『新抄格勅符抄』(神事諸家封戸大同元年牒)にも、「美乃国」とある。  柳田国男は著書『地名考』で、美濃、耳納、三納など、ミノと読…
    48キロバイト (6,743 語) - 2024年5月31日 (金) 14:35
  • モンゴルの高麗侵攻のサムネイル
    高宗三十九年秋七月戊戌(十六日)条「戊戌、蒙古使多可阿土等三十七人來帝密勅多可等曰:「汝到彼國、王出迎于陸、則雖百姓未出、猶可也。不然則待、汝來當發兵致討。」多可等至王、遣新安公佺、出迎之請蒙使入梯浦館。王乃出見宴未罷、多可等以王不從帝命怒而還昇天館。」/『高麗史節要』巻17 高宗三十九年七月条「秋七月
    44キロバイト (7,760 語) - 2024年2月4日 (日) 21:11
  • 鷹狩ありて尾州より關白殿歸洛のきざみ。鳥どもおほくもたせられければ。 聖門主  鶴のあし山鳥の尾にさきのあしなか〳〵しくも通るたか人 かへし。  短きも步み出つゝの足のしたやすからぬけんふつにして 右東國陣道記以詞林意行集挍合了 この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっ
  • 日本紀に案るに曰く、十年丙申秋七月辛丑朔庚戌、後皇子尊薨せり。 天の海に雲の波立ち月の船 星の林に漕ぎ隠る見ゆ 天海丹 雲之波立 月船 星之林丹 榜隠所見 秋の野の 尾花が末の 生い靡き 心は妹に 寄りにけるかも あきののの おばながすゑの おひなびき こころはいもに よりにけるかも 秋野 尾花末 生靡 心妹 依
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