「尾張四観音」の版間の差分

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'''尾張四観音'''(おわりしかんのん)とは、[[尾張国]]の代表的な四つの[[観音]]、[[荒子観音]]・[[甚目寺]]観音・[[竜泉寺]]観音・[[笠寺観音]]を指す言葉である。
'''尾張四観音'''(おわりしかんのん)とは、[[尾張国]]の代表的な四つの[[観音]]、[[荒子観音]]・[[甚目寺]]観音・[[龍泉寺 (名古屋市)|竜泉寺]]観音・[[笠寺観音]]を指す言葉である。
いずれも開基から千数百年以上を経た古刹である(蛇足ながら、[[日本三大観音]]のひとつである[[大須観音]]が尾張四観音に入らないのは、[[江戸時代]]初期に[[徳川家康]]の命令で[[美濃]]から[[名古屋]]に移転してきた比較的新しい観音であることに起因する)。
いずれも開基から千数百年以上を経た古刹である(蛇足ながら、[[日本三大観音]]のひとつである[[大須観音]]が尾張四観音に入らないのは、[[江戸時代]]初期に[[徳川家康]]の命令で[[美濃]]から[[名古屋]]に移転してきた比較的新しい観音であることに起因する)。



2007年1月7日 (日) 11:14時点における版

尾張四観音(おわりしかんのん)とは、尾張国の代表的な四つの観音荒子観音甚目寺観音・竜泉寺観音・笠寺観音を指す言葉である。 いずれも開基から千数百年以上を経た古刹である(蛇足ながら、日本三大観音のひとつである大須観音が尾張四観音に入らないのは、江戸時代初期に徳川家康の命令で美濃から名古屋に移転してきた比較的新しい観音であることに起因する)。

名古屋城を中心にほぼ四方に分散する形で立地しており、毎年節分の時期になると(名古屋城から見て)その年の恵方にあたる寺が多くの参詣者で賑わう。それぞれを結ぶ道として四観音道があったが、このうち笠寺と竜泉寺を結ぶ道が現存し、千種区内の地名にもなっている。

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