「ジョヴァンニ・バッティスタ・ベルツォーニ」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
イエスタディ・ワンスモア (会話 | 投稿記録) タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集 |
イエスタディ・ワンスモア (会話 | 投稿記録) タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集 |
||
8行目: | 8行目: | ||
[[インディアナ・ジョーンズ]]のモデルになったとする説もある。 |
[[インディアナ・ジョーンズ]]のモデルになったとする説もある。 |
||
妻はアイルランド人のサラ。 |
妻は[[アイルランド人]]のサラ。 |
||
== 脚注 == |
== 脚注 == |
2022年4月16日 (土) 17:14時点における版
ジョヴァンニ・バッティスタ・ベルツォーニ (Giovanni Battista Belzoni, 1778年11月15日 - 1823年12月3日)は、イタリアの探検家。
概要
2mを超す巨漢で、もともとは怪力自慢で人間ピラミッドという芸を持ちサーカスなどで活躍した大道芸人であり、機械工学の専門家でもあった。アフリカ探検で知られ、1817年にアブ・シンベル神殿の出入り口を発掘した。その後、カフラー王のピラミッドやセティ一世の墓を発掘している。大英博物館に収蔵されているラムセス2世の像Younger Memnonを発見した[1]。
インディアナ・ジョーンズのモデルになったとする説もある。
妻はアイルランド人のサラ。
脚注
- ^ “床屋の息子がスパイに、そして考古学者に転身!「インディアナ・ジョーンズ」のモデルとは” (2018年10月22日). 2020年6月23日閲覧。