「ガイウス・クラウディウス・プルケル (紀元前177年の執政官)」の版間の差分
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2020年5月31日 (日) 17:46時点における版
ガイウス・クラウディウス・プルケル C. Claudius Ap. f. P. n. Pulcher | |
---|---|
出生 | 不明 |
死没 | 紀元前167年 |
出身階級 | パトリキ |
氏族 | クラウディウス氏族 |
官職 |
法務官(紀元前185年) 執政官(紀元前180年) 監察官(紀元前169年) |
指揮した戦争 |
対イストリア戦争 対イグリア戦争 |
ガイウス・クラウディウス・プルケル(ラテン語: Gaius Claudius Pulcher、 ? - 紀元前167年)は、共和政ローマの元老院議員。父はアッピウス・クラウディウス・プルケル。
アウグルに紀元前195年、プラエトルに紀元前180年に選ばれる。紀元前177年にコンスルに就任、イストリア半島に遠征、しかし失敗してローマに更迭される。再び遠征を試み、今度はリグリアへ、そして勝利を収める。紀元前169年にケンソルに選ばれるが、業績は芳しくなく、弾劾される。しかし同僚ケンソルのティベリウス・センプロニウス・グラックス・マイヨルが民衆に人気があったため告発は取り下げられた。そして紀元前167年に外交業務のためにマケドニアへ赴き、同年死去した。
家族
- アッピウス・クラウディウス・プルケル (紀元前212年の執政官):父
- アッピウス・クラウディウス・プルケル (紀元前185年の執政官):兄弟
- プブリウス・クラウディウス・プルケル (紀元前184年の執政官):兄弟
関連項目
公職 | ||
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先代 マルクス・ユニウス・ブルトゥス アウルス・マンリウス・ウルソ |
執政官 同僚:ティベリウス・センプロニウス・グラックス I |
次代 グナエウス・コルネリウス・スキピオ・ヒスパッルス クィントゥス・ペティッリウス・スプリヌス |
公職 | ||
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先代 クィントゥス・フルウィウス・フラックス マルクス・フルウィウス・ノビリオル 紀元前174年 LI |
監察官 同僚:ティベリウス・センプロニウス・グラックス 紀元前169年 LII |
次代 ルキウス・アエミリウス・パウルス・マケドニクス クィントゥス・マルキウス・ピリップス 紀元前164年 LIII |