「田中一村終焉の家」の版間の差分
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== 概要 == |
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田中一村は[[1908年]] |
田中一村は[[1908年]]([[明治]]41年)に[[栃木県]]にて生まれ、[[千葉県]]で20年間ひたすら[[写生]]に没頭した後、[[奄美]]の自然に魅了されて[[1958年]](昭和33年)、50歳の時に[[奄美大島]]に移住した。[[大島紬]]の染色工として働いたり、営農のかたわら[[亜熱帯]]特有の動植物を描き続けたが、その独特の世界は生前に認めらることはなかった。中央画壇とつながりをもたず、清貧・孤高の生活を続けた田中は、[[1977年]](昭和52年)9月1日、69歳で長年住んだ借家からこの家に移り、新たな創作意欲を燃やし、ここを[[御殿]]のようだといって大変喜んでいたが、入居からわずか10日後の[[9月11日]]、[[心臓発作]]で[[孤独死]]した<ref name="sagawa">{{Cite web|url=http://www.sagawa-artmuseum.or.jp/plan/2018/02/110.html|title=佐川美術館公式サイト - 生誕110年 田中一村展|accessdate=2020-4-6}}</ref><ref name="amamipark">{{Cite web|url=http://amamipark.com/isson/|title=田中一村記念美術館|accessdate=2020-4-6}}</ref><ref name="rurubu">{{Cite web|url=https://rurubu.jp/andmore/spot/80042038|title=るるぶmore|accessdate=2020-4-6}}</ref><ref name="kagoshima">{{Cite web|url=https://www.kagoshima-kankou.com/guide/10202/|title=どんどんかごしまの旅 - 田中一村終焉の家|accessdate=2020-4-6}}</ref>。毎年、命日にはこの場所で地元有志による一村忌が行われる<ref name="kagoshima"/>。 |
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家のそばに、田中一村の生涯を記した碑がある。建物は、和光園近くの畑の中にあったものを移設保存したもので、元は現在 |
家のそばには、田中一村の生涯を記した碑がある。建物は、和光園近くの畑の中にあったものを移設保存したもので、元は現在地にあったものではない<ref name="amami-tour">{{Cite web|url=https://amami-tour.com/spot/tanakaisson-syuuennoie|title=奄美ツアーズ - 田中一村終焉の家-奄美大島-|accessdate=2020-4-6}}</ref>。 |
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== 所在地 == |
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* 鹿児島県奄美市名瀬有屋町38-3<ref name="rurubu"/><ref name="nihon">{{Cite web|url=https://www.nihon-kankou.or.jp/kagoshima/462225/detail/46207aj2200122635|title=miru-navi 田中一村終焉の家|accessdate=2020-4-6}}</ref><ref name="kagoshima"/> |
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== 見学 == |
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== 交通アクセス == |
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2020年4月6日 (月) 02:52時点における版
田中一村終焉の家(たなかいっそんしゅうえんのいえ)は、鹿児島県奄美市名瀬有屋38番地3にある、日本画家の田中一村が最期に過ごした家。
概要
田中一村は1908年(明治41年)に栃木県にて生まれ、千葉県で20年間ひたすら写生に没頭した後、奄美の自然に魅了されて1958年(昭和33年)、50歳の時に奄美大島に移住した。大島紬の染色工として働いたり、営農のかたわら亜熱帯特有の動植物を描き続けたが、その独特の世界は生前に認めらることはなかった。中央画壇とつながりをもたず、清貧・孤高の生活を続けた田中は、1977年(昭和52年)9月1日、69歳で長年住んだ借家からこの家に移り、新たな創作意欲を燃やし、ここを御殿のようだといって大変喜んでいたが、入居からわずか10日後の9月11日、心臓発作で孤独死した[1][2][3][4]。毎年、命日にはこの場所で地元有志による一村忌が行われる[4]。
家のそばには、田中一村の生涯を記した碑がある。建物は、和光園近くの畑の中にあったものを移設保存したもので、元は現在地にあったものではない[5]。