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「タチアナ・リアブーシンスカ」の版間の差分

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[[モスクワ]]で[[ロシア帝国]]の有名な実業一家[[リャブシーンスキイ家]]({{lang|ru|[[:ru:Рябушинские|Рябушинские]]}})に生まれた。父ミハイルは[[銀行]]家、母タチヤーナは[[ボリショイ劇場]]のバレリーナであった。その後、娘タチヤーナもバレリーナを目指すところとなり、[[マチルダ・クシェシンスカヤ]]に師事した。のち、[[フランス]]で[[バレエ・リュス・ド・モンテカルロ]]に参加し、プリマバレリーナとなった。


のち[[アメリカ合衆国]]に定住し、バレエ教師となった。彼女に教わった女優には、[[リタ・モレノ]]、[[アン・マーグレット]]、[[ジョン・ウッドワード]]らがいる。
のち[[アメリカ合衆国]]に定住し、バレエ教師となった。彼女に教わった女優には、[[リタ・モレノ]]、[[アン・マーグレット]]、[[ジョン・ウッドワード]]らがいる。


=== 逸話 ===
=== 逸話 ===

2018年3月18日 (日) 12:44時点における版

1940年代のリアブシンスカ

タチアナ・ミハイロヴナ・リアブーシンスカロシア語:Татьяна Михайловна Рябушинскаяラテン文字転写の例:Tatiana Mikhailovna Riabouchinska1917年5月23日[1] - 2000年8月24日)は、ロシアのバレエダンサーである。なお、ロシア語名はタチヤーナ・ミハーイロヴナ・リャブシーンスカヤ

概要

生涯

モスクワロシア帝国の有名な実業一家リャブシーンスキイ家Рябушинские)に生まれた。父ミハイルは銀行家、母タチヤーナはボリショイ劇場のバレリーナであった。その後、娘タチヤーナもバレリーナを目指すところとなり、マチルダ・クシェシンスカヤに師事した。のち、フランスバレエ・リュス・ド・モンテカルロに参加し、プリマバレリーナとなった。

のちアメリカ合衆国に定住し、バレエ教師となった。彼女に教わった女優には、リタ・モレノアン・マーグレットジョアン・ウッドワードらがいる。

逸話

アメリカの作家レイ・ブラッドベリは、彼女をモデルに小説『かくてリアブチンスカは死せり』[2]を書いている。但し、作家がモデルとしているのは彼女の容貌と名前だけである。

脚注

  1. ^ 一説には1916年5月23日または5月24日
  2. ^ 参考吉田誠一訳、『よろこびの機械』蔵。

外部リンク