「四庫全書」の版間の差分
zh:四库全书 2015-04-22 20:37 より図書の経過と現状を翻訳、追加。一部修正・省略など |
Mehmet~jawiki (会話 | 投稿記録) 編集の要約なし |
||
1行目: | 1行目: | ||
[[画像:Eine-Seite-aus-dem-Zhuangzi.jpg|thumb|四庫全書([[荘子]]の書)]] |
[[画像:Eine-Seite-aus-dem-Zhuangzi.jpg|thumb|四庫全書([[荘子]]の書)]] |
||
『'''四庫全書'''』(しこぜんしょ、{{繁体字中文表記|四庫全書}}、{{ピン音|Sìkù quánshū}} |
『'''四庫全書'''』(しこぜんしょ、{{繁体字中文表記|四庫全書}}、{{ピン音|Sìkù quánshū}}、[[満州語]]:Duin namun i yooni bithe)とは、[[中国]]・[[清|清朝]]の[[乾隆帝]]の勅命により編纂された、中国最大の[[漢籍]][[叢書]]である。 |
||
全般著書は経・史・子・集4部に 44類、3503種、36000冊、230万ページ、10億字になっている(部数・巻数の数え方には数種あり)。実際に編纂に参加して正式に名前が登録された[[文人]]学者だけで400人を超え、筆写人員は 4000人余りである。 |
全般著書は経・史・子・集4部に 44類、3503種、36000冊、230万ページ、10億字になっている(部数・巻数の数え方には数種あり)。実際に編纂に参加して正式に名前が登録された[[文人]]学者だけで400人を超え、筆写人員は 4000人余りである。 |
2015年8月23日 (日) 11:32時点における版
『四庫全書』(しこぜんしょ、正体字: 四庫全書、拼音: 、満州語:Duin namun i yooni bithe)とは、中国・清朝の乾隆帝の勅命により編纂された、中国最大の漢籍叢書である。
全般著書は経・史・子・集4部に 44類、3503種、36000冊、230万ページ、10億字になっている(部数・巻数の数え方には数種あり)。実際に編纂に参加して正式に名前が登録された文人学者だけで400人を超え、筆写人員は 4000人余りである。
概要
全体の構成が隋以来の四部分類(経・史・子・集)によって分類整理されているため、四庫全書という。四部の書の表紙は、緑色(経部)・赤色(史部)・青色(子部)・灰色(集部)に色分けされた。広範な資料を網羅しており、資料の保存に多大な貢献をした反面、清朝の国家統治にとって障害となるような書物は、禁書扱いされ、収録されなかった図書は3,000点にのぼるという(代表例として、北方王朝に抵抗した南宋遺臣の著書である『十八史略』が挙げられる[要出典])。また、たとえ収録されていても、内容を改竄したり削除したりしている例が見られるため、扱いには注意が必要である。 本書の解題目録として、『四庫全書総目提要』200巻が作られた。
また、中国国内の文献のみならず、日本やベトナムの漢籍も収録されている。日本のものとしては山井崑崙による『七経孟子攷文』があげられる。この書は、足利学校所蔵の古典籍をひろく引用し、綿密な考証を施したものである[1]。
沿革
1772年(乾隆37年)1月4日、類書の校勘の為に全文を収集する目的で各地方官に命じた[2][3]。
1773年(乾隆37年)2月28日、朱筠の上奏で蒐集書籍の解題を付し、完成後『四庫全書』と命名することが許可され[2]、「四庫全書館」が設置され、編纂が開始された[4]。
全書の正本7部、副本1部が浄書されて、正本は、文淵閣(北京・紫禁城)・文源閣(北京・円明園)・文津閣(熱河・避暑山荘)・文溯閣(瀋陽・盛京宮殿)・文匯閣(揚州・大観堂)・文宗閣(鎮江・金山寺)・文瀾閣(杭州・聖因寺行宮)に、それぞれ収められた[6]。また副本は、翰林院に収蔵された。 保管には専門の書庫を設置し、建物は寧波天一閣を模範として、書庫の前面に防火と消火用の池を開鑿し、後背に假山を作るよう設計された。
経過と現状
版本 | 蔵書閣 | 蔵書閣の場所 | 蔵書閣の現状 | 図書の現収蔵場所 | 出版情況・備考 |
---|---|---|---|---|---|
文淵閣本 | 文淵閣 | 北京・紫禁城 | 現存 | 台湾台北市 故宮博物院 |
民国76年(1986年)文淵閣本「四庫全書」の影印版を出版。民国99年(2010年)再版 |
文源閣本 | 文源閣 | 北京・円明園 | 現存せず | フランス フォンテーヌブロー宮殿 (一部分) |
咸豊10年(1860年)イギリス・フランス連合軍による北京攻撃により焼失 |
文津閣本 | 文津閣 | 熱河・避暑山荘 | 現存 | 北京市 中国国家図書館 |
2005年文津閣本「四庫全書」の影印版を出版 |
文溯閣本 | 文溯閣 | 瀋陽・盛京宮殿 | 現存 | 甘粛省蘭州市 甘粛省図書館 |
|
文匯閣本 | 文匯閣 | 揚州・大観堂 | 現存せず | 現存せず | 咸豊3年(1853年)の太平天国軍の揚州攻略時に焼失 |
文宗閣本 | 文宗閣 | 鎮江・金山寺 | 2011年に再建 | 現存せず | 道光22年(1842年)のアヘン戦争で破壊された後、咸豊3年(1853年)の太平天国軍の鎮江攻撃により焼失 文淵閣本「四庫全書」の影印版を収蔵 [7] |
文瀾閣本 | 文瀾閣 | 杭州・聖因寺 | 光緒6年(1880年)に再建 | 浙江省杭州市 浙江省図書館 |
咸豊11年(1861年)の太平天国軍の杭州攻略時に蔵書の大半が失われたが、その後、丁氏兄弟の尽力により復旧 2006年文瀾閣本「四庫全書」の影印版を出版 |
副本 | 清朝 翰林院 |
北京・東長安街 | 現存せず | 現存せず | 光緒26年(1900年)義和団の乱により焼失 |
全文
維基文庫に全文を共同入力中である。
脚注
- ^ 『中国史のなかの日本像』目録 二節文はその人の如
- ^ a b 内藤湖南「文淵閣の四庫全書」(『青空文庫』所収) http://www.aozora.gr.jp/cards/000284/files/1733_21578.html
- ^ 松浦章「『四庫全書存目叢書』箚記」(関西大学図書館フォーラム第6号(2001)) http://web.lib.kansai-u.ac.jp/library/about/lib_pub/forum/2001_vol6/2001_03_5.pdf
- ^ 『文淵閣四庫全書電子版』 http://www.skqs.com/skqs/compilation.aspx
- ^ http://zh.wikipedia.org/wiki/1782%E5%B9%B4
- ^ 中野美代子『乾隆帝 その政治の図像学』文藝春秋、2007年4月、pp245-246。
- ^ 田伟钊 (2011年10月25日). “线装版《四库全书》重回镇江金山文宗阁” (中国語). 新华日报. 2014年10月23日閲覧。
外部リンク
- Siku Quanshu (四庫全書, SKQS) Available Now Through the Internet Archive - Internet Archiveで四庫全書を読むことができる旨の紹介
- 四庫全書