「黄瓊」の版間の差分

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'''黄 瓊'''(こう けい、[[86年]] - [[164年]])は、中国[[後漢]]代の政治家、[[儒者]]。字は世英。江夏郡[[安陸市|安陸県]]の人。[[尚書令]]・魏郡[[太守]]の[[黄香]]の子。[[黄エン|黄琬]]の祖父。
 
[[順帝 (漢)|順帝]]の太傅となる[[桓焉]]に師事した。初め、父の官位によって太子舍人となったが、病を称して就かなかった。父が死去し、喪が終わると五府<ref>太傅、大将軍、三公の府</ref>から招聘され、[[順帝 (漢)|順帝]]の[[永建 (漢)|永建]]年間には皇帝の徴召を受けたがやはり応じなかった。これが不敬であるとの弾劾され、また[[李固]]の説得によってついに洛陽に至り、議郎に任じられた。
[[Category:164年没]]
[[Category:漢代の人物]]
[[Category:孝感出身の人物]]
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