「ヴィットーリオ・アメデーオ2世・ディ・サヴォイア=カリニャーノ」の版間の差分

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'''ヴィットーリオ・アメデーオ2世・ディ・サヴォイア=カリニャーノ'''('''Vittorio Amedeo II di Savoia-Carignano''', [[1743年]][[10月3日]] - [[1780年]]9月)は、第5代[[サヴォイア=カリニャーノ家|カリニャーノ公]]である(在位:[[1778年]] - [[1780年]])。
'''ヴィットーリオ・アメデーオ2世・ディ・サヴォイア=カリニャーノ'''('''Vittorio Amedeo II di Savoia-Carignano''', [[1743年]][[10月3日]] - [[1780年]]9月)は、第5代[[サヴォイア=カリニャーノ家|カリニャーノ公]](在位:[[1778年]] - [[1780年]])。


カリニャーノ公[[ルイージ・ヴィットーリオ・ディ・サヴォイア=カリニャーノ|ルイージ・ヴィットーリオ]]<!--Christine Henriette di Hesse-Rheinfels-Rotenburg -->の息子。妹にフランス王妃[[マリー・アントワネット]]の女官長を務めた[[ランバル公妃マリー・ルイーズ]]がいる。
カリニャーノ公[[ルイージ・ヴィットーリオ・ディ・サヴォイア=カリニャーノ|ルイージ・ヴィットーリオ]]とヘッセン=ローテンブルク方伯[[エルンスト2世レオポルト (ヘッセン=ローテンブルク方伯)|エルンスト2世レオポルト]]の娘クリスティーネの息子。妹にフランス王妃[[マリー・アントワネット]]の女官長を務めた[[ランバル公妃マリー・ルイーズ]]がいる。


[[1768年]][[10月18日]][[ウルクス]]にてマリー・ジョセフ・ド・ロレーヌ=ランバス/ブリオンヌ([[1753年]][[8月26日]]ウルクス - [[1797年]][[2月8日]][[トリノ]])と結婚した。この結婚で以下の子をもうけた。
[[1768年]][[10月18日]][[ウルクス]]にてマリー・ジョセフ・ド・ロレーヌ=ランバス/ブリオンヌ([[1753年]][[8月26日]]ウルクス - [[1797年]][[2月8日]][[トリノ]])と結婚した。この結婚で以下の子をもうけた。


* [[カルロ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア=カリニャーノ|カルロ・エマヌエーレ]] カリニャーノ公([[1780年]] - [[1800年]])
* [[カルロ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア=カリニャーノ|カルロ・エマヌエーレ]] カリニャーノ公([[1780年]] - [[1800年]])


彼の死後は息子カルロ・エマヌエーレが後を継いだ。
死後はカルロ・エマヌエーレが後を継いだ。


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2012年1月28日 (土) 21:09時点における版

ファイル:1743 Vittorio Amadeo.jpg
カリニャーノ公ヴィットーリオ・アメデーオ2世

ヴィットーリオ・アメデーオ2世・ディ・サヴォイア=カリニャーノVittorio Amedeo II di Savoia-Carignano, 1743年10月3日 - 1780年9月)は、第5代カリニャーノ公(在位:1778年 - 1780年)。

カリニャーノ公ルイージ・ヴィットーリオとヘッセン=ローテンブルク方伯エルンスト2世レオポルトの娘クリスティーネの息子。妹にフランス王妃マリー・アントワネットの女官長を務めたランバル公妃マリー・ルイーズがいる。

1768年10月18日ウルクスにてマリー・ジョセフ・ド・ロレーヌ=ランバス/ブリオンヌ(1753年8月26日ウルクス - 1797年2月8日トリノ)と結婚した。この結婚で以下の子をもうけた。

死後はカルロ・エマヌエーレが後を継いだ。

先代
ルイージ・ヴィットーリオ
カリニャーノ公
1778年 - 1780年
次代
カルロ・エマヌエーレ