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'''ヴァレナ'''({{lang-lt|Varėna}}、{{lang-pl|Orany}})は、[[リトアニア]]・[[アリートゥス県]]の[[リトアニアの都市の一覧|都市]]。[[ワルシャワ]]・[[サンクトペテルブルク]]間に鉄道が敷設され、[[1862年]]、[[セ・ヴァレナ]](「旧ヴァレナ」の意)の南4kmの地点に都市が建設された。当時は小規模な居住地であったがその後発展を遂げ、[[1950年]]にはヴァレナ地区自治体の中心都市となった。
'''ヴァレナ'''({{lang-lt|Varėna}}、{{lang-pl|Orany}})は、[[リトアニア]]・[[アリートゥス県]]の[[リトアニアの都市の一覧|都市]]。[[ワルシャワ]]・[[サンクトペテルブルク]]間に鉄道が敷設され、[[1862年]]、[[セノイ・ヴァレナ]](「旧ヴァレナ」の意)の南4kmの地点に都市が建設された。当時は小規模な居住地であったがその後発展を遂げ、[[1950年]]にはヴァレナ地区自治体の中心都市となった。


[[戦間期]]には[[ポーランド]]領の一部で、当時は Orany と呼ばれていた。その頃はポーランド・リトアニア国境にも近く、[[ヴィルノ県]]に編入されていた。[[1939年]]、[[ナチス・ドイツ|ナチス]]と[[ソビエト連邦|ソビエト]]がポーランドに侵攻すると、ヴァレナはリトアニア領となった。
[[戦間期]]には[[ポーランド]]領の一部で、当時は Orany と呼ばれていた。その頃はポーランド・リトアニア国境にも近く、[[ヴィルノ県]]に編入されていた。[[1939年]]、[[ナチス・ドイツ|ナチス]]と[[ソビエト連邦|ソビエト]]がポーランドに侵攻すると、ヴァレナはリトアニア領となった。
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== 著名の出身者 ==
== 著名の出身者 ==
[[画家]]で[[作曲家]]の[[ミカロユス・チュルリョーニス]]は[[1875年]][[セ・ヴァレナ]]にて生まれた。
[[画家]]で[[作曲家]]の[[ミカロユス・チュルリョーニス]]は[[1875年]][[セノイ・ヴァレナ]]にて生まれた。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2011年2月6日 (日) 09:16時点における版

ヴァレナ
Varėna
ヴァレナの市章
市章
位置
ヴァレナの位置(リトアニア共和国)の位置図
ヴァレナの位置(リトアニア共和国
座標 : 北緯54度12分40秒 東経24度34分20秒 / 北緯54.21111度 東経24.57222度 / 54.21111; 24.57222
歴史
文献に登場 1377年
市に制定 1946年
行政
 リトアニア
 地方 ズーキヤ
  アリートゥス県
 自治体 ヴァレナ地区自治体
 市 ヴァレナ
地理
面積  
  市域 11.7 km2
人口
人口 2010年現在)
  市域 10,100人
    人口密度   864人/km2
その他
等時帯 EET (UTC+2)
夏時間 EEST (UTC+3)
郵便番号 LT-65001

ヴァレナリトアニア語: Varėnaポーランド語: Orany)は、リトアニアアリートゥス県都市ワルシャワサンクトペテルブルク間に鉄道が敷設され、1862年セノイ・ヴァレナ(「旧ヴァレナ」の意)の南4kmの地点に都市が建設された。当時は小規模な居住地であったがその後発展を遂げ、1950年にはヴァレナ地区自治体の中心都市となった。

戦間期にはポーランド領の一部で、当時は Orany と呼ばれていた。その頃はポーランド・リトアニア国境にも近く、ヴィルノ県に編入されていた。1939年ナチスソビエトがポーランドに侵攻すると、ヴァレナはリトアニア領となった。

1946年、約2,000名のポーランド人がポーランドへと強制移住させられた。

1970年代以降、街は急速に工業化し、現在は約1万人の人口を抱える。他方でヴァレナ地区自治体はまた、リトアニアで最も大きく森林に覆われた地区でもある。

人口の変遷

  • 1923年 - 400人
  • 1939年 - 1,800人
  • 1959年 - 2,400人
  • 1970年 - 4,446人
  • 1979年 - 8,015人
  • 1989年 - 12,291人
  • 2001年 - 10,845人

著名の出身者

画家作曲家ミカロユス・チュルリョーニス1875年セノイ・ヴァレナにて生まれた。

関連項目