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「銀座アスター食品」の版間の差分

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|英文社名 = Ginza Astar Co., Ltd.
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|資本金 = 8,000万円
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|従業員数 = 2,047人(契約社員含)
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'''銀座アスター食品株式会社'''(ぎんざアスターしょくひん、英称:''Ginza Astar Co.,Ltd.'')は、[[東京都]][[品川区]]西五反田に本社を置く、主に[[中華料理]]の製造販売ならびに中華料理を提供する[[レストラン]]の経営をおこなう企業である。


社名の「'''アスター'''」は当時[[上海]]にあった一流ホテル「[http://en.wikipedia.org/wiki/Astor_House_Hotel_(Shanghai) アスター・ハウス・ホテル]」の名に由来するものである。
'''銀座アスター食品株式会社'''(ぎんざアスターしょくひん)と、[[京都]][[品川区]]西五反田2丁目21番1号Kビルに本社を置く、食品会社ある。[[中華料理]][[レストラン]]38店舗とデリショップ(持ち帰り用惣菜店)12店舗を経営している。企業理念は"中国食文化の本質を学び、新たな食文化を創造する「食品生活文化企業」を標榜し、カジュアルな場からフォーマルな場まで本格的な中華料理を提供することを目指しビジネス展開を行っている。


== 概要 ==
創業者の矢谷彦七は[[ハワイ州|ハワイ]]・[[サンフランシスコ]][[航路]]の事務長を務め、下船後、牛乳配達業を経て[[1918年]]([[大正]]7年)に[[築地]]で[[バター]]事業起こし一時、流通量の日本国内シェア6割を占めるまでになった。[[帝国ホテル]]なども納入されていた。その後、[[銀座]]で中華料理店を起こし[[アメリカ合衆国|アメリカ]]風中華料理店と言う一風変わったスタイルが受け繁盛する。その後、[[中国人]]のアドバイスを受け本格的中華料理店を目指すことになる。
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[[第二次世界大戦|戦時中]]に一旦被災するが、戦後[[1946年]](昭和21年)の再建時に一時[[喫茶店]]経営を行い、1948年(昭和23年)に中華料理店が復活、その後は[[百貨店|デパート]]の食品売り場で[[餃子]]や[[焼売|シュウマイ]]など販売するようになり、再び活気を取り戻すと共に、銀座アスター食品株式会社に改称する[[1950年代]]は[[崎陽軒]]と同じように焼売弁当が人気商品の一つであった。


現在・東海・関西の三地域38店舗のレストランとデリショップ(持ち帰り用惣菜店)12店舗を経営している。中国食文化の本質を学び、新たな食文化を創造する「食品生活文化企業」を標榜し、カジュアルな場からフォーマルな場まで本格的な中華料理を提供することを目指しビジネス展開を行っている。

==その他==
同社の[[マスコットキャラクター]]で左頬に米つぶをつけているチャイナ服姿の「アスターちゃん」は、現在同社の副会長である[[太田喜久子]]が考案したもので、昭和30年代から昭和40年代にかけて、同社のレストランで飲食をしたり、焼売弁当などの製品を買った際についてくるシールを集めると貰うことができた。現在はマスコットとしての役目は終えたが、発売された時期が戦後復興の[[高度成長期]]に当たることから、その時代に生きた世代を中心とするレトログッズ収集家の間では、人気が高い一品となっている。
== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.ginza-aster.co.jp/ 銀座アスター]
* [http://www.ginza-aster.co.jp/ 銀座アスター]


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[[Category:日本の外食産業]]
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2010年5月15日 (土) 21:32時点における版

銀座アスター食品株式会社
Ginza Astar Co.,Ltd.
種類 株式会社
本社所在地 141-0031
東京都品川区西五反田2丁目21番1号Kビル
設立 1954年12月
業種 食料品
法人番号 9010001041059 ウィキデータを編集
事業内容 中国料理レストランの経営、持ち帰り用の中国料理の加工販売
代表者 代表取締役社長 矢谷郁
資本金 8,000万円
売上高 123億円(2008年度9月期)
従業員数 2,116人(契約社員含む)
主要子会社 株式会社 銀座アスター
外部リンク http://www.ginza-aster.co.jp/
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銀座アスター食品株式会社(ぎんざアスターしょくひん、英称:Ginza Astar Co.,Ltd.)は、東京都品川区西五反田に本社を置く、主に中華料理の製造販売ならびに中華料理を提供するレストランの経営をおこなう企業である。

社名の「アスター」は当時上海にあった一流ホテル「アスター・ハウス・ホテル」の名に由来するものである。

概要

ハワイサンフランシスコ航路の貨物船の事務長を務めたこともある、創業者の矢谷彦七が下船後、牛乳配達業を経て1918年大正7年)に築地バターの製造販売を始める。帝国ホテルなどにも納入され、流通量の日本国内シェア6割を占めるまでに成長するが、矢谷は事業をバター製造事業を譲渡し、その元手で1926年(昭和元年)に銀座で中華料理店を開く。アメリカ風中華料理店と言う一風変わったスタイルが受け繁盛する。その後、中国人のアドバイスを受け本格的中華料理店を目指すことになる。

戦時中に一旦被災するが、戦後1946年(昭和21年)の再建時に一時喫茶店経営を行い、1948年(昭和23年)に中華料理店が復活、その後はデパートの食品売り場で餃子シュウマイなど販売するようになり、再び活気を取り戻すと共に、銀座アスター食品株式会社に改称する。1950年代崎陽軒と同じように焼売弁当が人気商品の一つであった。

現在は関東・東海・関西の三地域で38店舗のレストランとデリショップ(持ち帰り用惣菜店)12店舗を経営している。中国食文化の本質を学び、新たな食文化を創造する「食品生活文化企業」を標榜し、カジュアルな場からフォーマルな場まで本格的な中華料理を提供することを目指しビジネス展開を行っている。

その他

同社のマスコットキャラクターで左頬に米つぶをつけているチャイナ服姿の「アスターちゃん」は、現在同社の副会長である太田喜久子が考案したもので、昭和30年代から昭和40年代にかけて、同社のレストランで飲食をしたり、焼売弁当などの製品を買った際についてくるシールを集めると貰うことができた。現在はマスコットとしての役目は終えたが、発売された時期が戦後復興の高度成長期に当たることから、その時代に生きた世代を中心とするレトログッズ収集家の間では、人気が高い一品となっている。

外部リンク