「学校法人愛知淑徳学園」の版間の差分
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*[[1905年]][[4月]] [[京都]]の[[米穀]][[商家]]に生まれ[[西陣織]]の[[刷毛]][[問屋]]の吉森家に嫁いだ'''吉森梅子'''は、[[仏教]][[布教]]を通じ社会事業に熱心で、店の支店が[[名古屋]]白塀町(現、[[西区]]花ノ木)にあった関係で[[知恩院]]の[[執事]]とともに来名し、[[白壁]]3丁目に住んで仏教布教に専心した。その活動を通じて縁ができた長者町の資産家の'''三輪常七'''が[[資金]]援助をし校主に、娘婿の[[京都新聞|京都日出新聞]][[記者]]だった'''小林清作'''が校長となり、短期間で[[西新町]](現、[[東区]]東桜1丁目)に愛知淑徳女学校を創設した [http://black.ap.teacup.com/syumoku/64.html]。 |
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*[[1947年]][[4月]] 愛知淑徳中学校 |
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*[[1948年]][[4月]] 愛知淑徳高等学校 |
*[[1948年]][[4月]] 愛知淑徳高等学校 |
2010年2月17日 (水) 09:19時点における版
学校法人愛知淑徳学園(がっこうほうじん あいちしゅくとくがくえん)は、中学校・高等学校・大学を持つ愛知県の学校法人。
沿革
- 1905年4月 京都の米穀商家に生まれ西陣織の刷毛問屋の吉森家に嫁いだ吉森梅子は、仏教布教を通じ社会事業に熱心で、店の支店が名古屋白塀町(現、西区花ノ木)にあった関係で知恩院の執事とともに来名し、白壁3丁目に住んで仏教布教に専心した。その活動を通じて縁ができた長者町の資産家の三輪常七が資金援助をし校主に、娘婿の京都日出新聞記者だった小林清作が校長となり、短期間で西新町(現、東区東桜1丁目)に愛知淑徳女学校を創設した [1]。
- 1947年4月 愛知淑徳中学校
- 1948年4月 愛知淑徳高等学校
- 1961年4月 愛知淑徳短期大学
- 1975年4月 愛知淑徳大学
- 1995年 男女共学体制へ
- 2002年 愛知淑徳短期大学廃止