「市川團十郎」の版間の差分

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*[[市川團十郎 (5代目)|五代目 市川團十郎]]
*[[市川團十郎 (5代目)|五代目 市川團十郎]]
**四代目の子、1741–1804。<!--狂名:花道のつらね。-->
**四代目の子、1741–1804。<!--狂名:花道のつらね。-->
**三代目松本幸四郎 → 五代目市川團十郎 → 三代目松本幸四郎 → [[市川蝦蔵]] → 成田屋七左衛門(隠居名)→ 市川白猿(舞台復帰後)
**三代目松本幸四郎 → 五代目市川團十郎 → 三代目松本幸四郎 → [[市川蝦蔵]] → 成田屋七左衛門(隠居名)→ 初代[[市川白猿]](舞台復帰後)
*[[市川團十郎 (6代目)|六代目 市川團十郎]]
*[[市川團十郎 (6代目)|六代目 市川團十郎]]
**五代目の子、1778–1799(早世)。
**五代目の子、1778–1799(早世)。
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*[[市川團十郎 (7代目)|七代目 市川團十郎]]
*[[市川團十郎 (7代目)|七代目 市川團十郎]]
**五代目の孫で六代目の養子、1791–1859。[[歌舞伎十八番]]を選定。
**五代目の孫で六代目の養子、1791–1859。[[歌舞伎十八番]]を選定。
**初代[[市川新之助]] →(五代目)市川ゑび蔵 → 七代目市川團十郎 → 五代目市川海老蔵 → 成田屋七左衛門(蟄居謹慎時)→ 幡谷重蔵(旅回り
**初代[[市川新之助]] →(五代目)市川ゑび蔵 → 七代目市川團十郎 → 五代目市川海老蔵 → 成田屋七左衛門(蟄居謹慎時)→ 幡谷重蔵(旅回り)→ 二代目市川白猿
*[[市川團十郎 (8代目)|八代目 市川團十郎]]
*[[市川團十郎 (8代目)|八代目 市川團十郎]]
**七代目の長男、1823–1854([[大坂]]で自殺)。
**七代目の長男、1823–1854([[大坂]]で自殺)。
**二代目市川新之助 → 六代目市川海老蔵 → 八代目市川團十郎
**二代目市川新之助 → 六代目市川海老蔵 → 八代目市川團十郎 → 三代目市川白猿
*[[市川團十郎 (9代目)|九代目 市川團十郎]]
*[[市川團十郎 (9代目)|九代目 市川團十郎]]
**七代目の五男、1838–1903。「劇聖」と呼ばれる。
**七代目の五男、1838–1903。「劇聖」と呼ばれる。
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--><!--歌舞伎の名跡を扱った他の項目にはこうしたギャラリーがないので、体裁を合わせます。-->
--><!--歌舞伎の名跡を扱った他の項目にはこうしたギャラリーがないので、体裁を合わせます。-->

== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
*[[柿色|團十郎茶]] <!--
*[[柿色|團十郎茶]] <!--

2010年1月27日 (水) 22:15時点における版

三升
杏葉牡丹
鎌輪ぬ

市川 團十郞(いちかわ だんじゅうろう、新字体:団十郎)は歌舞伎役者の名跡屋号成田屋定紋三升(みます)、替紋杏葉牡丹(ぎょよう ぼたん)。役者文様鎌輪ぬ(かまわぬ)がある。

解説

市川團十郎家は歌舞伎の市川流家元であり、歌舞伎の市川一門の宗家でもある。その長い歴史と数々の事績から、市川團十郎は歌舞伎役者の名跡のなかでも最も権威のある名とみなされている。

團十郎と関わりの深い名跡に市川海老蔵がある。前期の市川團十郎には團十郎 → 海老蔵と襲名する例が目立ち、後期にはこれが逆転して海老蔵 → 團十郎と襲名する例が目立つようになる。

当代の團十郎が最初に襲名したのが市川新之助だったため、新之助 → 海老蔵 → 團十郎と襲名するのが市川宗家の通例だと誤解されがちだが、実際にかつて新之助を名乗った者がのちに團十郎を襲名したのは、他には七代目と八代目があるのみである(詳細は「市川海老蔵」の項を参照)。

團十郎代々

関連項目

外部リンク