「伊藤大士」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
13行目: 13行目:
!||日付||競馬場・開催・レース競走名||格||馬名||頭数||人気||着順
!||日付||競馬場・開催・レース競走名||格||馬名||頭数||人気||着順
|-
|-
||初出走||2009年5月23日||1回新潟7日第8競走||4歳以上500万以下||マイネアクトナイン||16||12||12
||初出走||2009年[[5月23日]]||1回新潟7日第8競走||4歳以上500万以下||マイネアクトナイン||16||12||12
|-
|-
||初勝利||2009年7月11日||2回福島7日第10競走郡山特別||3歳以上500万以下||ショウナンダンク||16||1||1
||初勝利||2009年[[7月11日]]||2回福島7日第10競走郡山特別||3歳以上500万以下||ショウナンダンク||16||1||1
|-
|-
||重賞初出走||2009年8月9日||2回札幌4日第9競走函館2歳ステークス||2歳 JpnIII||バトルレッド||16||8||16
||重賞初出走||2009年[[8月9日]]||2回札幌4日第9競走[[函館2歳ステークス]]||2歳 JpnIII||バトルレッド||16||8||16
|-
|-
||重賞初勝利||colspan="8"|未勝利
||重賞初勝利||colspan="8"|未勝利
30行目: 30行目:
!||日付||競馬場・開催・レース||競走名||格||馬名||頭数||人気||着順
!||日付||競馬場・開催・レース||競走名||格||馬名||頭数||人気||着順
|-
|-
||初出走||2009年8月5日||浦和第7競走||ツインメイト特別||3歳||スピードスクエア||10||2||3
||初出走||2009年[[8月5日]]||浦和第7競走||ツインメイト特別||3歳||スピードスクエア||10||2||3
|-
|-
||初勝利||colspan="8"|未勝利
||初勝利||colspan="8"|未勝利

2009年11月8日 (日) 15:16時点における版

伊藤 大士(いとう だいし、1972年11月29日 - )は、日本中央競馬会美浦トレーニングセンターに所属している調教師である。愛知県出身。

来歴

1996年、10月よりJRA競馬学校厩務員課程に入学する。

1997年、競馬学校卒業後の4月から美浦・森安弘昭厩舎所属の厩務員となり、6月に美浦・上原博之厩舎に転厩して調教助手に転向した。

2009年2月12日にJRA調教師免許試験に合格したことが発表され、3月1日付で調教師免許免許を取得した。

記録

  • 中央競馬
日付 競馬場・開催・レース競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 2009年5月23日 1回新潟7日第8競走 4歳以上500万以下 マイネアクトナイン 16 12 12
初勝利 2009年7月11日 2回福島7日第10競走郡山特別 3歳以上500万以下 ショウナンダンク 16 1 1
重賞初出走 2009年8月9日 2回札幌4日第9競走函館2歳ステークス 2歳 JpnIII バトルレッド 16 8 16
重賞初勝利 未勝利
GI初出走 未出走
GI初勝利
  • 地方競馬
日付 競馬場・開催・レース 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 2009年8月5日 浦和第7競走 ツインメイト特別 3歳 スピードスクエア 10 2 3
初勝利 未勝利

主な管理馬

人物・エピソード

  • 調教師免許取得の同期には、清水久詞鈴木孝志田島俊明牧浦充徳和田正一郎の5人がおり、清水とは同い年、鈴木とは同じ愛知県出身者でもある。
  • 大竹正博は大学の先輩にあたる。
  • 目標とする調教師は、自身が調教助手として所属した上原博之だと新規調教師プロフィールの欄で語っている[1]
  • 調教師へなることの志望動機は、「馬に携わる仕事を行っていく中で、調教師が一番「華」があり、やりがいのある仕事だと思ったので志望しました。」と新規調教師プロフィールの欄で語っている[1]
  • 調教師免許合格の際には、「競馬を取り巻く環境は厳しいですが、まずは自分自身が調教師としての仕事を楽しみたいと思います。その事がスタッフ等の志気を高めることにもなると考えます。しっかりやっていきたいです。」といったコメントを新規調教師プロフィールの欄に残した[1]
  • 競馬サークルには伊藤姓は多いが競馬サークル内に血縁関係者はいない。

関連項目

脚注

  1. ^ a b c 2009年度 新規調教師プロフィール 2009年2月12日