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ピエール2世との間に1男1女をもうけた。
ピエール2世との間に1男1女をもうけた。
* シャルル(1476年 - 1498年) クレルモン伯
* シャルル(1476年 - 1498年) クレルモン伯
* シュザンヌ(1491年 - 1521年) ブルボン公[[シャルル3世 (ブルボン公)|シャルル3世]]と結婚
* [[シュザンヌ・ド・ブルボン|シュザンヌ]](1491年 - 1521年) ブルボン公[[シャルル3世 (ブルボン公)|シャルル3世]]と結婚


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2009年2月3日 (火) 20:04時点における版

アンヌ・ド・ボージュー

アンヌ・ド・ボージュー(Anne de Beaujeu, 1461年4月 - 1522年11月14日)はフランスルイ11世と2番目の妃シャルロット・ド・サヴォワの娘。アンヌ・ド・フランス(Anne de France)とも。

1473年にブルボン公ピエール2世と結婚した。1483年に父ルイ11世が没すると、王位を継承した弟シャルル8世がまだ若年であったため、1491年まで夫とともに摂政を務めた。

ピエール2世との間に1男1女をもうけた。