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2008年12月19日 (金) 05:26時点における版

低地ゲルマニア属州の位置(120年頃のローマ帝国)

低地ゲルマニア(Germania Inferior)は古代ローマ属州のひとつである。下ゲルマニアと訳されることもある。隣り合う高地ゲルマニア属州(または上ゲルマニア属州)の下流に位置することから名づけられた。ライン川の左岸に位置し、その領域は、現在のオランダ南部と西部、ベルギールクセンブルクフランスの北東部、およびドイツ西部にあたる。州都はコローニア・アグリッピネンシス(Colonia Agrippinensis)で、現在のケルンにあたる。

歴史

ローマ軍が初めてこの地方に侵攻したのは、ユリウス・カエサルによるガリア戦争のときである。カエサルの侵攻は紀元前57年に行われ、その後3年間に、エブロネス族やメナピー族など現地のゲルマン部族を全滅させた。

低地ゲルマニアは、紀元前50年頃はまだガリア・ベルギカの一部であり、この頃からローマ人の植民地が築かれ始めた。90年に低地ゲルマニアはローマ帝国の属州となり、その後にローマ皇帝が直轄する皇帝属州となった。隣り合う高地ゲルマニア属州と合わせてゲルマニアを構成する。

低地ゲルマニアにはいくつかのローマ軍団が駐留し、彼らは EX.GER.INF(Exercitus Germania Inferior)の略称で表された。その中でも、第1軍団ミネルバや第30軍団ウルピア・ウィクトリクスは長く当地に駐留し続けた。また、海軍の軍団クラシス・ゲルマニカもカストラ・ウェテラやアグリッピネンシスに駐留し、ライン川や北海沿岸の警備を勤めた。

主な植民地

  • カストラ・ウェテラ (Castra Vetera、現クサンテン近く)
  • コローニア・ウルピア・トラヤーナ (Colonia Ulpia Traiana、現クサンテン近く)
  • ウルピア・ノビオマグス・バタウォルム (Ulpia Noviomagus Batavorum、現ナイメーヘン
  • トライェクトゥム・アド・レーヌム (Trajectum ad Rhenum、現ユトレヒト
  • アトゥトゥカ・トゥングロルム (Atuatuca Tungrorum、現トンヘレン
  • トルナクム (Tornacum、現トゥルネー
  • ボーナ (Bona、現ボン
  • コローニア・アグリッピネンシス (Colonia Agrippinensis、州都、現ケルン

参考資料

  • Jona Lendering, De randen van de aarde. De Romeinen tussen Schelde en Maas, (2000 Amsterdam)

外部リンク