カリア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
古代のアナトリア

カリア英語:Caria、古代ギリシア語:Καρία)は、アナトリア半島西部の古代の地名。イオニア中部から南に海岸線に沿ってリュキア、東はフリギアまでの地域を指す。ドーリア人イオニア人がカリア西部に植民し、そこにギリシアの都市国家を形成した。今のトルコアイドゥン県ムーラ県一帯に相当する。

カリアの主要な都市にハリカルナッソスカウノスがある。

紀元前1250年ごろのヒッタイトの碑文には、ヒッタイトの西にある敵国として、ルッカー(リュキア)と並んでカルキシャまたはカリヤという名前が見え、カリアを意味していると見られる[1]

ヘロドトスによると、エジプト第26王朝のプサメティコス1世はイオニアとカリアの傭兵による軍事力を背景としていた。それを裏付けるようにエジプトのイシス像の土台にはカリア語英語版を記したプサメティコス1世時代の碑文が残る[2]。南のブヘン英語版に至るナイル川沿いにカリア語の落書きが残っており、これらはヌビア遠征に従軍したカリア人によるものと考えられている[2]

その後、カリア本土を含むアナトリアはアケメネス朝に服属するが、紀元前4世紀になるとサトラップであったヘカトムノス英語版が事実上の王としてカリアに君臨した。ヘカトムノスの子のマウソロスは権勢を振るい、その没後には巨大なマウソロス霊廟がハリカルナッソスに建造された。紀元前334年にヘカトムノスの娘のアダはアレクサンドロス3世に降伏し、カリアの統治者として認められた。

ヘレニズム時代にはギリシア化し、アフロディシアス英語版のような都市が作られた。紀元前2世紀に共和政ローマセレウコス朝に勝利すると、アナトリア西部はマイアンドロス川を境にペルガモン王国ロドスに分割され、カリアの大部分はロドスに属した[3]。紀元前129年にペルガモン王国はローマに編入され、ローマのカリア属州が成立した[4]

脚注[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]