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|事業内容 = 中国料理レストランの経営及び持ち帰り用の中国料理の加工販売
|事業内容 = 中国料理レストランの経営及び持ち帰り用の中国料理の加工販売
|代表者 = 矢谷郁(代表取締役社長)
|代表者 = 矢谷郁(代表取締役社長)
|資本金 = 8000万円
|資本金 = 8,000万円
|売上高 = 129億円(2006年度9月期)
|売上高 = 129億円(2006年度9月期)
|総資産 =
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|従業員数 = 2047名(契約社員含)
|従業員数 = 2,047人(契約社員含)
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|主要子会社 = 株式会社銀座アスター
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'''銀座アスター食品株式会社'''(ぎんざあすたーしょくひん)とは、[[東京都]][[品川区]]西五反田2丁目21番1号Kビルに本社を置く、食品会社である。[[中華料理]][[レストラン]]38店舗とデリカショップ(持ち帰り用惣菜店)12店舗を経営している。企業理念は"中国食文化の本質を学び、新たな食文化を創造する「食品生活文化企業」”を標榜し、カジュアルな場からフォーマルな場まで本格的な中華料理を提供することを目指しビジネス展開を行っている。
'''銀座アスター食品株式会社'''(ぎんざアスターしょくひん)とは、[[東京都]][[品川区]]西五反田2丁目21番1号Kビルに本社を置く、食品会社である。[[中華料理]][[レストラン]]38店舗とデリカショップ(持ち帰り用惣菜店)12店舗を経営している。企業理念は"中国食文化の本質を学び、新たな食文化を創造する「食品生活文化企業」”を標榜し、カジュアルな場からフォーマルな場まで本格的な中華料理を提供することを目指しビジネス展開を行っている。


創業者の矢谷彦七は[[ハワイ]]・[[サンフランシスコ]][[航路]]の事務長を務め、下船後、牛乳配達業を経て[[1918年]]([[大正]]7年)に[[築地]]で[[バター]]事業を起こし一時、流通量の国シェア6割を占めるまでになった。[[帝国ホテル]]などにも納入されていた。その後、[[銀座]]で中華料理店を起こし[[アメリカ]]風中華料理店と言う一風変わったスタイルが受け繁盛する。その後、[[中国人]]のアドバイスを受け本格的中華料理店を目指すことになる。
創業者の矢谷彦七は[[ハワイ州|ハワイ]]・[[サンフランシスコ]][[航路]]の事務長を務め、下船後、牛乳配達業を経て[[1918年]]([[大正]]7年)に[[築地]]で[[バター]]事業を起こし一時、流通量の日本シェア6割を占めるまでになった。[[帝国ホテル]]などにも納入されていた。その後、[[銀座]]で中華料理店を起こし[[アメリカ合衆国|アメリカ]]風中華料理店と言う一風変わったスタイルが受け繁盛する。その後、[[中国人]]のアドバイスを受け本格的中華料理店を目指すことになる。


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[[第二次世界大戦|戦時中]]に被災するが、戦後[[1946年]](昭和21年)の再建時に一時[[喫茶店]]経営を行い、1948年(昭和23年)に中華料理店が復活、その後は[[百貨店|デパート]]の食品売り場で[[餃子]]や[[焼売|シュウマイ]]など販売するようになり、銀座アスター食品株式会社という名称になった。昭和30年代は[[崎陽軒]]と同じように焼売弁当が人気商品の一つであった。


== 外部リンク ==
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* [http://www.ginza-aster.co.jp/ 銀座アスター]

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2007年11月11日 (日) 00:59時点における版

銀座アスター食品株式会社
Ginza Astar Co., Ltd.
種類 株式会社
本社所在地 東京都品川区西五反田2丁目21番1号Kビル
設立 1926年12月
業種 食料品
法人番号 9010001041059 ウィキデータを編集
事業内容 中国料理レストランの経営及び持ち帰り用の中国料理の加工販売
代表者 矢谷郁(代表取締役社長)
資本金 8,000万円
売上高 129億円(2006年度9月期)
従業員数 2,047人(契約社員含)
主要子会社 株式会社銀座アスター
外部リンク www.ginza-aster.co.jp
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銀座アスター食品株式会社(ぎんざアスターしょくひん)とは、東京都品川区西五反田2丁目21番1号Kビルに本社を置く、食品会社である。中華料理レストラン38店舗とデリカショップ(持ち帰り用惣菜店)12店舗を経営している。企業理念は"中国食文化の本質を学び、新たな食文化を創造する「食品生活文化企業」”を標榜し、カジュアルな場からフォーマルな場まで本格的な中華料理を提供することを目指しビジネス展開を行っている。

創業者の矢谷彦七はハワイサンフランシスコ航路の事務長を務め、下船後、牛乳配達業を経て1918年大正7年)に築地バター事業を起こし一時、流通量の日本国内シェア6割を占めるまでになった。帝国ホテルなどにも納入されていた。その後、銀座で中華料理店を起こしアメリカ風中華料理店と言う一風変わったスタイルが受け繁盛する。その後、中国人のアドバイスを受け本格的中華料理店を目指すことになる。

戦時中に被災するが、戦後1946年(昭和21年)の再建時に一時喫茶店経営を行い、1948年(昭和23年)に中華料理店が復活、その後はデパートの食品売り場で餃子シュウマイなど販売するようになり、銀座アスター食品株式会社という名称になった。昭和30年代は崎陽軒と同じように焼売弁当が人気商品の一つであった。

外部リンク