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古代オリエントに存在したヒッタイト王国の皇妃の称号。
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紀元前1680~1650年頃に旧ヒッタイト王国を治めていた[[ラバルナ1世]](ヒッタイト建国・創始者)の妃であった[[タワナアンナ]]の名がそのまま第一皇妃の称号となった。
[[紀元前1680]]~のに[[紀元前1650|1650年]]頃に旧ヒッタイト王国を治めていた[[ラバルナ1世]](ヒッタイト建国・創始者)の妃であった「'''タワナアンナ'''」の名がそのまま第一皇妃の称号となった。


有名な[[タワナアンナ]]として、[[シュッピルリウマ1世]]の3人目に王妃の座についたバビロニア出身のナキア姫が存在する。
有名なタワナアンナとして、[[シュッピルリウマ1世]]の3人目に王妃の座についた[[バビロニア]]出身のナキア姫が存在する。
ナキア姫は、前[[タワナアンナ]]・ヒンティが生きていた頃に[[後宮]]に上がっており、後にヒンティが亡くなり[[タワナアンナ]]が空席になった時点で[[タワナアンナ]]に就任したものとされる。
ナキア姫は、前[[タワナアンナ・ヒンティ]]が生きていた頃に[[後宮]]に上がっており、後にヒンティが亡くなりタワナアンナが空席になった時点でタワナアンナに就任したものとされる。


[[タワナアンナ]]は王妃の称号ではあるが、既に独立した身分で、夫である王が亡くなり皇太后になってから後も、その[[タワナアンナ]]が生きているうちには[[タワナアンナ]]の交代はなく、死ぬまでの身分として保障される。
タワナアンナは王妃の称号ではあるが、既に独立した[[身分]]で、夫である王が亡くなり[[皇太后]]になってから後も、そのタワナアンナが生きているうちにはタワナアンナの交代はなく、死ぬまでの身分として保障される。
よって、王が交代をしても生きている限り次の王の妃は[[タワナアンナ]]の称号・身分を手にすることはできないものとされていたようで、その例外はほぼ無いに等しい。
よって、王が交代をしても生きている限り次の王の妃はタワナアンナの称号・身分を手にすることはできないものとされていたようで、その例外はほぼ無いに等しい。

[[Category:ヒッタイト帝国|たわあんな]][[Category:后妃|たわあんな]]
[[Category:称号|たわあんな]]

2007年6月28日 (木) 04:21時点における版

古代オリエントに存在したヒッタイト王国帝国)の皇妃の称号


紀元前1680年~のに1650年頃に旧ヒッタイト王国を治めていたラバルナ1世(ヒッタイト建国・創始者)の妃であった「タワナアンナ」の名がそのまま第一皇妃の称号となった。

有名なタワナアンナとして、シュッピルリウマ1世の3人目に王妃の座についたバビロニア出身のナキア姫が存在する。 ナキア姫は、前タワナアンナ・ヒンティが生きていた頃に後宮に上がっており、後にヒンティが亡くなりタワナアンナが空席になった時点でタワナアンナに就任したものとされる。

タワナアンナは王妃の称号ではあるが、既に独立した身分で、夫である王が亡くなり皇太后になってから後も、そのタワナアンナが生きているうちにはタワナアンナの交代はなく、死ぬまでの身分として保障される。 よって、王が交代をしても生きている限り次の王の妃はタワナアンナの称号・身分を手にすることはできないものとされていたようで、その例外はほぼ無いに等しい。